ちくさ‐ありこと【千種有功】
千種有功
千種有功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 16:03 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政8年11月9日(1796年12月7日) |
死没 | 嘉永7年8月28日(1854年10月19日) |
別名 | 号:千々廼舎(ちぢのや)、鶯蛙園(おうけいえん)、在琴[1] |
官位 | 正三位、近衛権中将[1] |
主君 | 光格天皇→仁孝天皇→孝明天皇 |
氏族 | 千種家 |
父母 | 父:千種有条、養父:千種有秀 |
子 |
有顕 養子:有名、有文 |
千種 有功(ちぐさ ありこと[1]、ちくさ ありこと[2])は、江戸時代後期の公卿・歌人[1]。
経歴
はじめ一条忠良[1]、次いで有栖川宮織仁親王、久世通理らに入門して和歌を師事、。和歌のみならず書画も能筆であり[1]、また公家ながら刀剣を愛好し、その収集に飽き足らず自ら刀を鍛え[3]、2000年代でもその遺作は蒐集家に人気がある[3]。
東京都新宿区須賀町にある須賀神社に肖像・大岡雲峰画、歌・千種有功筆の三十六歌仙図が社宝として伝わっており、新宿区指定有形文化財(絵画)に指定されている[4]。
系譜
歌集
- 『千々廼舎集』 全3巻
- 『日枝の百枝』
- 『ふるかがみ』
- 『和漢草』
脚注
関連項目
千種有功(ちぐさ ありこと)
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「公家侍秘録」の記事における「千種有功(ちぐさ ありこと)」の解説
実在の人物。公家ながら自ら刀を鍛えるほどの刀剣愛好家。ある事件で近衛家を通じて守武に仕事を依頼したのをきっかけに、刀剣がらみの事件などで何度か登場する。
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