千種有能とは? わかりやすく解説

千種有能

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/01 04:40 UTC 版)

 
千種有能
時代 江戸時代前期
生誕 元和元年(1615年
死没 貞享4年3月1日1687年4月12日
官位 正二位権大納言
主君 後西天皇霊元天皇東山天皇
氏族 岩倉家千種家
父母 父:岩倉具堯、母:園基継の娘
兄弟 具起、有清、一糸文守有能坊城俊完
正室:久我通前の娘
継室:長姫(真田信吉の娘)
有維雅永
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千種 有能(ちくさ ありよし)は、江戸時代前期の公卿木工頭岩倉具堯の四男。官位正二位権大納言千種家村上源氏久我家の分流)を復興させた人物。

経歴

京都に生まれる。久我家の古い分家・千種家を偲んで千種を氏とした。元和9年(1623年)に叙爵し、寛永2年(1625年)には元服して侍従に任じられ、以降累進して慶安2年(1649年)には従三位となり公卿に列した。

明暦元年(1655年)、正三位参議。明暦2年(1656年)参議を辞職し、踏歌節会外弁となる。さらに寛文5年(1665年)に権中納言に任じられ、寛文9年(1669年)まで務めた。寛文6年(1666年)に従二位となる。延宝3年(1675年)から天和3年(1683年)にかけては武家伝奏役を務めた。この間の延宝4年(1676年)には権大納言となっているがすぐに辞している。また延宝5年(1677年)には正二位となる。

貞享3年(1686年)に72歳で出家。その翌年に死去した。正室に久我通前の姫を迎えており、その間に千種有維植松雅永を儲けた。また、上野沼田藩主の真田信吉の娘(長姫)を継室としている。

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