フィリピン海海戦とは? わかりやすく解説

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マリアナ沖海戦

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 02:33 UTC 版)

マリアナ沖海戦(マリアナおきかいせん、英語: Battle of the Philippine Sea)は、太平洋戦争末期の海戦1944年(昭和19年)6月19日から6月20日にかけて西太平洋のマリアナ諸島沖で勃発した大日本帝国(日本)とアメリカ合衆国(アメリカ)の海軍空母機動部隊同士の戦いである。この戦いで、アメリカ軍が勝利し日本軍連合艦隊は壊滅的に敗北した。アメリカ軍は、この地域の制海権制空権を確保する事となった。


注釈

  1. ^ この訓練方法が問題となり、美濃部は第301海軍航空隊司令八木勝利中佐から飛行隊長を更迭されている[27]
  2. ^ ミッドウェー海戦の際にはわずか7機であったものを、戦訓により索敵力を強化したものである。
  3. ^ 21型に現地改修で懸吊架装備をつけて戦闘爆撃機としたタイプであり、後年量産された62型(52丙型の胴体下に250kg爆弾の懸吊架装備をつけた戦闘爆撃機型)とは別機体
  4. ^ 『いざゆけ!ゼロ戦 最強の戦闘機、激闘の伝説 スーパー戦闘機で知る太平洋戦争 ゼロ戦は無敵だった!』(KKベストセラーズ、2007年)230頁によると、「8時20分、前衛部隊の戦艦大和艦橋で第1次攻撃隊127機が高度4000メートルで前衛部隊に近づいてくるのを発見したが、無線封鎖中の前衛部隊ではこの100機を超える編隊が敵か味方か、判別できなかった。日本海軍では飛行機は味方軍艦上空を飛ばないことになっており、重巡洋艦「高雄」が味方識別合図を要求するため高角砲4発射ち上げたが、編隊は無反応のまま艦隊の真上に向かって距離1万5千メートルまで接近。「大和」は敵編隊とみなして全艦に左45°一斉回頭と対空射撃の緊急命令を出し、各艦は回頭と発砲を始めた。日本機編隊は慌てて翼をバンクさせて味方だと知らせたのだが、4機も被弾して落ちていった。」
  5. ^ 1航戦若しくは2航戦所属機を収容したと思われる
  6. ^ 各空母への振り分けは次の通り。大鳳:零戦五二型20機、彗星一一型10機、九九式艦爆8機、天山一二型13機、二式艦偵3機。翔鶴:零戦21機、天山12機、彗星18機、二式艦偵10機、九九式艦爆3機。瑞鶴:零戦21機、天山12機、彗星18機、二式艦偵10機、九九式艦爆3機
  7. ^ 但し6月8日風雲沈没時に戦死
  8. ^ 但し6月8日に沈没
  9. ^ 但し6月9日に沈没
  10. ^ 各空母への振り分けは次の通り。隼鷹:零戦27機、彗星9機、九九艦爆9機、天山6機。飛鷹:零戦27機、彗星9機、九九艦爆9機、天山6機。龍鳳:零戦×21機、天山×11機
  11. ^ 6月8日の春雨沈没時に白浜政七駆逐隊司令が戦死し後任は未着任
  12. ^ 但し6月15日に油槽船清洋丸と衝突して沈没
  13. ^ 正式編成は海戦後の8月15日
  14. ^ 各空母への振り分けは次の通り。瑞鳳:零戦21機、天山9機。千歳:零戦21機、九七艦攻9機。千代田:零戦21機、九七艦攻9機
  15. ^ 6月9日に早波が沈没し折田大佐が戦死。15日付で玉波艦長の青木久治大佐が隊司令に赴任
  16. ^ 但し6月9日に沈没
  17. ^ パラオより合流、19日に分離
  18. ^ タウィタウィで対潜掃討中触礁損傷により全力発揮不能、第二補給部隊護衛へ異動となる
  19. ^ 海防艦はギマラスで待機。
  20. ^ 公刊戦史「潜水艦史」による
  21. ^ アイランドの煙突に命中するも、航行に支障無し。
  22. ^ 500ポンド爆弾を艦橋後部のマスト付近に命中したとしているが乗組員の回想では被弾無し、至近弾によるスプリンターを直撃弾と勘違いした可能性有り。
  23. ^ タウイタウイに閉じ込められた原因としては潜水艦の跋扈が上げられる。泊地を出た途端雷撃される事もあり、そのため、護衛の駆逐艦が損耗した。そもそもタウイタウイ島と、その周辺海域は、南シナ海で通商破壊を行なう米潜水艦航路の途中にあった。(しかし、タウイタウイは結局不運な選定であったことを証明した。当時、ニューギニアにおいて入手した、日本側書類によって、新しい日本の航空艦隊の出現とその進出位置が明らかになると、米潜水艦が大挙してセルベス海やフィリピン諸島周辺に集中行動したので、小澤部隊は訓練や演習の為に錨地外に出動することが殆ど出来無くなった。)[70]

出典

  1. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦付録
  2. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦331頁
  3. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦304-305頁
  4. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦336頁
  5. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦323-325頁
  6. ^ 堀栄三『大本営参謀の情報戦記』文春文庫128頁、戦史叢書12マリアナ沖海戦326-327頁
  7. ^ a b 戦史叢書12マリアナ沖海戦353頁
  8. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦354頁
  9. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦324-325頁
  10. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦388-389頁
  11. ^ a b c 戦史叢書12マリアナ沖海戦390頁
  12. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦432-433頁
  13. ^ モリソン(2003年)、286頁。
  14. ^ a b NHK『証言記録 兵士たちの戦争「マリアナ沖海戦 破綻した必勝戦法」』
  15. ^ モリソン(2003年)、287頁。
  16. ^ a b 戦史叢書12マリアナ沖海戦479頁
  17. ^ a b 戦史叢書12マリアナ沖海戦451頁
  18. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦480頁
  19. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦327-328頁
  20. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦484頁
  21. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦515頁
  22. ^ ブュエル 2000, p. 402.
  23. ^ 井手次郎 1992, pp. 27–28
  24. ^ a b 戦史叢書12 1968, p. 527
  25. ^ a b 伊沢 1975, p. 139
  26. ^ 御田重宝 1991, 電子版, 位置No.2946
  27. ^ 渡辺洋二 2003, p. 40
  28. ^ Operation Forager and the Battle of the Philippine Sea”. Naval History and Heritage Command. 2022年1月21日閲覧。
  29. ^ Operation Forager and the Battle of the Philippine Sea”. Naval History and Heritage Command. 2022年1月21日閲覧。
  30. ^ 戦史叢書12 1968, p. 304
  31. ^ a b 戦史叢書12マリアナ沖海戦524-525頁
  32. ^ a b 戦史叢書12マリアナ沖海戦530頁
  33. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦538頁
  34. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦389-390頁
  35. ^ モリソン(2003年)、284-285頁。
  36. ^ モリソン(2003年)、290-291頁。
  37. ^ a b モリソン(2003年)、292-293頁。
  38. ^ 草鹿 1979, p. 260.
  39. ^ a b 「戦闘詳報.第1機動部隊 あ号作戦(653空.第1機動艦隊司令部.千歳.千代田)(1)」第35画像
  40. ^ a b #小板橋見張員p.84、著者は当時愛宕航海部操舵手。
  41. ^ a b #小板橋見張員p.85
  42. ^ 「昭和19年6月20日 軍艦利根戦闘詳報 第7号(あ号作戦中対空戦闘に対する分)」第11-12画像、安永弘『死闘の水偵隊』344頁、筑摩所属偵察機乗員。山本佳男『巡洋艦高雄と共に』135頁、三連装機銃射手。
  43. ^ #艦爆隊長p.168
  44. ^ #艦爆隊長p.169
  45. ^ #艦爆隊長p.170
  46. ^ #艦爆隊長p.171
  47. ^ #艦爆隊長p.176
  48. ^ 「昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(1)」第56画像
  49. ^ 「昭和19年6月20日〜昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(2)」第1画像
  50. ^ 「昭和19年6月20日〜昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(2)」第11-12画像
  51. ^ 「昭和19年6月20日〜昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(3)」39頁
  52. ^ 「昭和19年6月20日〜昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(3)」40頁、45-46頁、「昭和19年5月1日〜昭和19年10月31日 特設運送船日栄丸戦時日誌戦闘詳報(3)」8頁
  53. ^ 「昭和17年6月1日~昭和19年6月30日 あ号作戦戦時日誌戦闘詳報(1)」第58画像
  54. ^ 池田清『最後の巡洋艦矢矧』(新人物往来社、1998)、85頁
  55. ^ #小板橋見張員p.88
  56. ^ #小板橋見張員p.89
  57. ^ 昭和19年3月1日~昭和19年11月15日 第1機動艦隊戦時日誌12~28画像
  58. ^ 「戦闘詳報.第1機動部隊 あ号作戦(653空.第1機動艦隊司令部.千歳.千代田)(1)」第49-51画像
  59. ^ a b c d 戦史叢書12マリアナ沖海戦636-638頁
  60. ^ 辻田真佐憲『大本営発表』幻冬舎新書192-194頁
  61. ^ 吉田俊雄『指揮官たちの太平洋戦争』光人社NF文庫314-315頁
  62. ^ 吉田俊雄『指揮官たちの太平洋戦争』光人社NF文庫316頁
  63. ^ 『太平洋戦争と十人の提督』学研M文庫頁289-290頁
  64. ^ 『太平洋戦争と十人の提督』(617頁より)
  65. ^ #戦藻録(九版)319頁
  66. ^ #戦藻録(九版)320頁
  67. ^ 『真実の太平洋戦争』『太平洋戦争と十人の提督』より。
  68. ^ 田中健一「マリアナ沖海戦 作戦指導批判に異論あり」『波濤』110号 1994年1月
  69. ^ 『真実の太平洋戦争』(第二章 数多い誤認と誤解 2 夢に終わったアウトレンジ戦法より 157-158頁)
  70. ^ ニミッツの太平洋海戦史 太平洋戦争と潜水艦 269p/372p〜375pより
  71. ^ 『日本はいかに敗れたか 上』より
  72. ^ 神立尚紀『零戦最後の証言2』光人社NF文庫、pp.113f
  73. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦379頁
  74. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦379-380頁
  75. ^ 川崎まなぶ著『マリアナ沖海戦 母艦搭乗員 激闘の記録』(海軍が新規搭乗員の大量養成・母艦搭乗員の急速錬成に努力を払ったので、本海戦に参加した全母艦搭乗員の平均飛行時間は、開戦時〜南太平洋海戦までと比べて遜色ないレベルであったという指摘だが、飛行時間の計算は在籍年月から推計したもので根拠に欠ける)
  76. ^ 戦史叢書71大本営海軍部・聯合艦隊(5)第三段作戦中期207頁
  77. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦411頁
  78. ^ 戦史叢書12マリアナ沖海戦55、78頁
  79. ^ 内藤初穂『戦艦大和へのレクイエム 大艦巨砲の技術を顧みる』(グラフ社、2008)185頁
  80. ^ turkey shootの意味・使い方”. (株)アルク. 2023年6月13日閲覧。
  81. ^ turkey shootの意味”. NTTレゾナント. 2023年6月13日閲覧。
  82. ^ 戦史叢書 41 P.110
  83. ^ a b c モリソン(2003年)、298-299頁。





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