サイエンス・フィクション 日本SFの歴史

サイエンス・フィクション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/18 13:56 UTC 版)

日本SFの歴史

戦前

第二次世界大戦以前には、押川春浪海野十三などが空想科学小説を発表している。また、1878年には日本初の翻訳SF小説となる『新未来記』(原著作者はペーター・ハルティンク)を近藤真琴が書いた。彼ら以外にも、江戸時代(1603年)から昭和前期(1945年)にかけて書かれた作品のなかにもSF的な作品が存在する。こうした作品群は、横田順彌によって《日本SFこてん古典》シリーズにまとめられており、現在も日本古典SF研究会などで研究が続けられている。

横田と長山靖生は、儒学者の巌垣月洲が1857年に記したとされる「西征快心編」(日本をモデルにした架空の極東の島国において、アジア侵略を企てるイギリスを成敗すべく集った憂国の武士たち八千名が軍船に乗り西征の旅に出る作品)が、日本最初のSFと呼ぶべき性格を備えているとしている[28][29]長山靖生はのちに、恋川春町の天明八年(1788年)発表の黄表紙であり、義経後日談の形をとった歴史改変物である「悦贔屓蝦夷押領」(よろこんぶひいきのえぞおし)を、日本SFの始まりとしている[30]

戦後

現在の日本SFに連なる流れは、戦後、進駐軍の兵士の読んでいたペーパーバックが古書店に並び、その影響の下に再開された。1954年には日本初のSF雑誌〈星雲〉が刊行された(創刊一号のみ)。その後、様々なSF叢書・シリーズが刊行されはじめた。

1960年の前後に、SF同人誌〈宇宙塵〉の創刊(1957年)、早川書房の発行する〈S-Fマガジン〉の創刊(1959年)、第1回日本SF大会の開催(1962年)が続き、本格的な日本SFが立ち上がった。SFマガジンでは日本人作家特集を刊行したが、いまだ日本のSF作家が存在しない時代だったため、佐野洋高橋泰邦など既存の推理作家に原稿を依頼したばかりでなく初代編集長の福島正実みずから執筆している[31]。戦後初の本格的なSF長編が、今日泊亜蘭の『刈得ざる種』(1962年。のち『光の塔』と改題)である。(ただし、『光の塔』以前にも1953年の丘美丈二郎『鉛の小函』などの長編作品は存在する)

〈S-Fマガジン〉で募集されたハヤカワ・SFコンテストからは、小松左京筒井康隆半村良光瀬龍平井和正豊田有恒らが次々とデビュー。早川書房が発行する雑誌・書籍以外でも、眉村卓星新一・今日泊亜蘭らがSF作品を発表した。

これらの作家は、欧米のSFの影響を受けながら、それぞれに特徴ある作風で日本独自のSFを展開していった。1960年代から活躍した彼らを「日本SF作家第一世代」と呼ぶ。

また平井和正、豊田有恒、柴野拓美などは、SF漫画の原作やSFアニメ脚本SF考証などを手がけ、小説に留まらない活躍をした。なお、漫画家の手塚治虫が戦後スタートさせたストーリー漫画の多くがSF物であったため、これに影響を受けた作家も多く(小松左京、筒井康隆など)、小松左京は著書『SF魂』の中で、当時の日本SF界の状況を以下のように表現している[32]

漫画星雲の手塚治虫星系の近くにSF惑星が発見され、星新一宇宙船船長が偵察、矢野徹教官が柴野拓美教官とともに入植者を養成、それで光瀬龍パイロットが着陸、福島正美技師が測量して青写真を作成、いちはやく小松左京ブルドーザーが整地して、そこに眉村卓貨物列車が資材を運び、石川喬司新聞発刊、半村良酒場開店、筒井康隆スポーツカーが走り…

また、江戸川乱歩は必ずしも系統だてたSFの紹介者ではなかったものの、戦前より続く探偵小説と空想科学小説の縁などもあり、この分野への理解を示し、盟友大下宇陀児らとともに自身の経営する雑誌『宝石』で星新一、筒井康隆ら新人を積極的に紹介した。

さらに、矢野徹野田昌宏浅倉久志伊藤典夫らの優秀な翻訳家は、欧米の優れたSFを紹介するだけでなく、どういうSFが面白いのかという点でオピニオン・リーダーとしての役割を果たした。また、〈S-Fマガジン〉初代編集長の福島正実は雑誌編集だけでなく、翻訳や創作も手がけ、日本SFの普及に努めた。

1970~80年代

スター・ウォーズのロボットR2-D2と記念写真に写るNASA宇宙飛行士

日本万国博覧会大阪で開かれた(1970年)こともあって、1970年代には科学全般に対する世間の関心が高まった。小松左京の『日本沈没』(1973年)がベストセラーになり、1974年には従来の国産SFアニメに比べて本格的な設定が施された『宇宙戦艦ヤマト』がTV放映された。1970年代後半には、映画『スター・ウォーズ』の日本公開(1978年)などもあり、日本においてSFが世間から注目を集めた。一方でSF作家が他分野へ進出するようになり、筒井康隆が「SFの浸透と拡散」と表現した日本SFの変質の始まりでもあった[33]

また、この年代を中心に眉村卓・光瀬龍・福島正実らが小学生・中学生・高校生向けのジュブナイルの分野を推し進め、映画テレビドラマ漫画化される作品を生み出し学生向けSFの分野を確立した。

奇想天外〉(1974年創刊)、〈SFアドベンチャー〉(1979年創刊)、〈SF宝石〉(1979年創刊)、<SFの本>(1982年創刊)などのSF雑誌が相次いで創刊され、それぞれ新人賞を設けるなどして新人の発掘にあたったため、〈S-Fマガジン〉とあわせて、堀晃・横田順彌・田中光二山田正紀かんべむさし野阿梓神林長平大原まり子火浦功草上仁新井素子・夢枕獏・田中芳樹菅浩江らが1970年代から1980年代にかけて続々とデビューした。1970年代から活躍を開始した堀晃、横田順彌、田中光二山田正紀かんべむさしらは「SF作家第二世代」と呼ばれた。1980年代から活躍を開始した野阿梓神林長平大原まり子火浦功草上仁新井素子らは「SF作家第三世代」と呼ばれた。

また、半村良の伝奇SFや平井和正の《ウルフガイ》シリーズは、菊地秀行夢枕獏高千穂遙の諸作品を経て、ライトノベルへと連なる源流の一つとなった。

その一方で、作家・評論家の山野浩一は、不定期刊行誌〈季刊NW-SF〉(1970年-1982年)の刊行やサンリオSF文庫(1978年-1987年)の監修などを通じて、既存の日本SF界を批判しつつ独自の運動をおこなった[34]。山野浩一が主催した「NW-SFワークショップ」には、鏡明荒俣宏川又千秋森下一仁亀和田武新戸雅章・永田弘太郎・志賀隆生高橋良平山形浩生・大和田始・野口幸夫増田まもるらが参加していた。

1980年代になると、1970年代に商業デビューしキャリアを重ねていた新井素子神林長平夢枕獏らが活躍した。一方で、田中芳樹は当時の和製スペースオペラの代表格であった《銀河英雄伝説》シリーズ本編を1987年に完結させ、その後は伝奇小説などに活動の軸足を移していった。

ビジュアル分野でのSFは引きつづき繁栄し、『風の谷のナウシカ』や『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』が公開され、サンライズが『機動戦士ガンダム』の商業的大成功を経て『装甲騎兵ボトムズ』というハードSF的な作品を製作した。SF企画スタジオのスタジオぬえも『超時空要塞マクロス』でSFアニメに参画した。日本SF大会DAICON IIIDAICON IVでのオープニングアニメでファンの注目を集めたDAICON FILMは後にガイナックスを設立し、商業アニメに進出する。日本SF作家クラブは1980年、小説以外の作品も対象とする日本SF大賞を設けた。

1983年には筒井康隆作の『時をかける少女』が映画化され大ヒットした。

やがて1980年代後半から1990年代前半にかけて、〈SFアドベンチャー〉(1979-92年)や第三期〈奇想天外〉(1987-90年)など、SF雑誌の休廃刊が相次いだ。また、唯一のSF専門誌となった〈S-Fマガジン〉は、新人賞であるハヤカワ・SFコンテストを1992年に休止した。

1990年代

1990年代に入ると、ライトノベル角川ホラー文庫(1993年-)などの新興レーベルや、日本ファンタジーノベル大賞(1989年-)や日本ホラー小説大賞(1994年-)などの文学賞が、SF作品・作家の実質的供給源としての役割を果たしはじめた。ライトノベル系レーベルには野尻抱介山本弘嵩峰龍二笹本祐一らが登場し、SFやスペースオペラの要素が濃い作品を発表した。日本ファンタジーノベル大賞や日本ホラー小説大賞からは酒見賢一鈴木光司瀬名秀明北野勇作・高野史緒ら、SF作家やSF的要素を含む作品を書く作家たちがデビューした。

1990年代後半になると、ライトノベル系のレーベルや新人賞から古橋秀之(1996年デビュー)や上遠野浩平(1998年デビュー)が登場して人気を博し、大西科学三雲岳斗らライトノベル系レーベルと一般レーベルの両方で活躍する作家たちの先鞭をつけた。笹本祐一野尻抱介などライトノベル系レーベルで作品を発表していた作家が、一般レーベルで本格的SFを書きはじめるようにもなった。1996年には早川書房のハヤカワ文庫から、森岡浩之が『星界の紋章』を発表した。

また、笙野頼子久間十義のように、純文学とSFの融合を志向する流れ(批評家ラリィ・マキャフリィは、ウィリアム・ギブスンの言葉を借り、そうした兆候をアヴァン・ポップと呼んだ)も日本において新たに生まれてきた。

小説以外の分野に目を向けると、1990年代半ばにガイナックスの『新世紀エヴァンゲリオン』が、『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』以来の大ヒットとなり、一般の若者に衝撃を与えるとともに共感を呼んだ。エヴァンゲリオンのほか、高橋しんの漫画『最終兵器彼女』(2000年-2001年)、上遠野浩平の《ブギーポップシリーズ》(1998年-)などセカイ系と呼ばれた作品群はメディアミックス企画が立ち上げられ、小説、漫画、アニメ、ゲームといった多くのメディアに展開されて人気を博した。

2000年代以降

1999年に日本SF作家クラブ主催の日本SF新人賞が、2000年には角川春樹事務所主催で小松左京が最終選考を務める小松左京賞が設けられ、本格的に新人の発掘が再開された。2001年には徳間書店が季刊雑誌〈SF Japan〉を創刊し、若手のSF作家やクリエイターにとっての作品発表の場となった。

2000年代前半には、新作の発表が途絶えていた飛浩隆が『グラン・ヴァカンス』を書き始め、『猫の地球儀』や『イリヤの空、UFOの夏』(共に電撃文庫)の秋山瑞人、『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞最年少受賞を果たした冲方丁、『第六大陸』と『老ヴォールの惑星』で星雲賞を受賞した小川一水らとともに活躍した。早川書房による2つのレーベル「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」(2002年-)と「次世代型作家のリアル・フィクション」(2003年-2007年)が、彼らに活躍の場を提供した。

同時期には、有川浩が《自衛隊三部作》(2003年-2005年)・《図書館戦争》シリーズ(2006年-2007年)でSFをあまり読まない層からも注目を集めた。桜坂洋All You Need Is Kill』(2004年)や、近未来のウィーンを舞台にした冲方丁のライトノベル引退作である《シュピーゲル・シリーズ》(2007年-)、アルフレッド・ベスターグレッグ・イーガンなどのオマージュ作であるうえお久光紫色のクオリア』(2009年)のように、ライトノベル系レーベルにも本格的なSF作品が出現した。

2006年には日本SF作家クラブ主催で、SFに関する評論を対象とする日本SF評論賞が始まった。

2007年には早川書房の「リアル・フィクション」が刊行終了したが、その後も第7回小松左京賞最終候補の円城塔伊藤計劃が相次いで早川書房からデビューし、SFジャンルの内外を問わず活躍した[注釈 2]

2009年になると、新人発掘の場であった日本SF新人賞小松左京賞が共に休止(事実上の終了)となったが、同年には創元SF短編賞が始まり、ここからはデビュー作『盤上の夜』で第147回直木賞候補となった宮内悠介らが輩出している。2013年にはハヤカワSFコンテストが長編新人賞として復活する。また、《年刊日本SF傑作選》(2008年-)、《NOVA 書き下ろし日本SFコレクション》(2009年-、全10巻)といった短編アンソロジーの刊行も始まり、若手・新人作家に発表の場を提供している。

2000年代後半にはアヴァン・ポップの潮流も開花し、円城塔・樺山三英(2007年デビュー)といった前衛的SF作家がデビューしたほか、シオドア・スタージョンの小説に代表される翻訳SFの〈奇想コレクション〉(2003年-)や〈未来の文学〉(2004年-)が刊行されるなかで、日本作家による新たな文学叢書〈想像力の文学〉(2009年-)も生まれた。また評論家の東浩紀のSF小説『クォンタム・ファミリーズ』(2009年)が三島由紀夫賞を受賞、円城塔が「道化師の蝶」(2012年)で芥川賞を受賞するなどした。

また、2009年には、日本SFの英訳シリーズ「Haikasoru」の刊行がアメリカで開始され、ここから刊行された伊藤計劃『ハーモニー』英訳版は2011年のフィリップ・K・ディック賞特別賞を受賞した。また、福岡を本拠とする黒田藩プレスからも日本SFの英訳が刊行されるなど、英語圏における日本SF紹介活動が続いている。

雑誌媒体では、2011年には〈SF Japan〉が休刊となり[36]、SF専門誌はふたたび〈S-Fマガジン〉1誌のみとなった。その一方で2010年代からは、黒田藩プレスのホラー専門誌〈ナイトランド〉や電子雑誌〈月刊アレ!〉(2011-2013)のように、SF専門誌ではない文芸誌で国内外のSF作品・作家を積極的に取り上げたり、特集が組まれるケースも見られるようになっている。

小説以外の分野に目を向けると、SF的な要素を設定に取り込んだアニメはひきつづき多数製作され、2000年代後半には拡張現実を取り扱った『電脳コイル』(2007)や、夢枕獏のSFをリスペクトした『天元突破グレンラガン』(2007)、『時をかける少女』の細田守による『サマーウォーズ』(2009)といったSFアニメが登場した。


注釈

  1. ^ 「現実的な問題」というのは、政治情勢次第でこの様な破滅が引き起こされる事が、科学技術的に不可能ではなくなった、という意味である[独自研究?]
  2. ^ 伊藤計劃はデビュー作『虐殺器官』が絶賛を得て第28回日本SF大賞候補となり、また文芸評論の分野などからも21世紀の日本SFを担う牽引役として期待を集める存在となった[35]が、2010年、34歳の若さで亡くなった。

出典

  1. ^ Gunn, James (2002). The Road to Science Fiction: From Wells to Heinlein. Scarecrow Press. ISBN 978-0810844391.
  2. ^ (2000) The American Heritage Dictionary of the English Language, Fourth Edition. Houghton Mifflin Company.
  3. ^ "www.jessesword.com/sf/view/210". Retrieved on 2007-02-02.
  4. ^ Whittier, Terry (1987). Neo-Fan's Guidebook.
  5. ^ Scalzi, John (2005). The Rough Guide to Sci-Fi Movies.
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  12. ^ 日本SF精神史』p.9
  13. ^ 『21世紀SF1000』p.575-576
  14. ^ 現代SFの歴史』pp.30-31
  15. ^ 十億年の宴』pp.28-31
  16. ^ 現代SFの歴史』pp.30-32
  17. ^ 現代SFの歴史』pp.31-35
  18. ^ 現代SFの歴史』p.77
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  20. ^ ルポフ, リチャード・A. 『バルスーム-バローズの火星幻想』厚木淳訳、東京創元社〈Key library〉、1982年5月。ISBN 978-4-488-01507-7  [要ページ番号]
  21. ^ 十億年の宴』pp.261-263
  22. ^ SF百科図鑑』p348
  23. ^ マイク・アシュリー英語版 『SF雜誌の歴史 - 黄金期そして革命』(牧眞司訳、東京創元社、2015年1月。ISBN 978-4-488-01540-4)の前書き、及び、訳者後書き(牧眞司)参照。
  24. ^ 中村融, 山岸真編『20世紀SF〈2〉1950年代―初めの終わり』 (河出文庫) 解説。
  25. ^ 仁賀克雄編『機械仕掛けの神―黄金の50年代SF傑作選』 (ソノラマ文庫)。
  26. ^ [1]「50年代SFの幻視者たち」大野万紀
  27. ^ 十億年の宴[要ページ番号]
  28. ^ 日本SF古典集成 (1)[要ページ番号]
  29. ^ 日本SF精神史』pp.14-15
  30. ^ 長山「日本SF精神史 完全版」(河出書房新社)2018年刊行
  31. ^ 日本SF誕生ーー空想と科学の作家たち(第2章). 勉誠出版. (2019年8月5日) 
  32. ^ SF研究からみたマンガ/コミックス研究」p.76
  33. ^ SFの時代』pp.308-316
  34. ^ 山野浩一. “「NW-SF宣言」”. 2012年11月20日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年7月20日閲覧。(初出:「季刊NW-SF」Vol.1、1970)
  35. ^ 【レビュー・書評】虐殺器官〔著〕伊藤計劃”. ブック・アサヒ・コム. 朝日新聞社 (2010年6月6日). 2015年9月6日閲覧。
  36. ^ 大森望 (2011年3月8日). “徳間書店のSF専門誌、11年の歴史に幕”. WEB本の雑誌. 本の雑誌社. 2011年9月8日閲覧。
  37. ^ “日本のロボット工学、鉄腕アトムとガンダムのおかげで発展? 海外メディア注目”. 財経新聞. (2014年3月31日). http://www.zaikei.co.jp/article/20140331/185808.html 2016年11月21日閲覧。 
  38. ^ http://www.thestargarden.co.uk/Why-society-needs-science-fiction.html
  39. ^ https://memory-alpha.fandom.com/wiki/Mae_Jemison[出典無効]






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