サイエンスプロデューサー
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「米村でんじろう」の記事における「サイエンスプロデューサー」の解説
1996年3月に都立高校教師を辞し、サイエンスプロデューサーとして独立する。同年5月に米村を追ったドキュメンタリー番組「おれは日本のガリレオだ!?」がNHKで放映されると、各地の学校や科学館からの講演依頼が米村のもとに殺到した。米村は「最初のころは講演依頼に従って話をしていたが、講演だけでは時間がもたないため実験を取り入れ、次第に実験の比重が多くなり、アシスタントや実験装置が徐々に増え、実験の間に話を混ぜていくサイエンスライブショーの構成ができあがっていった」と述べている。 米村は科学技術館の「ワークス」でサイエンスショーの実演をする一方で、地方から依頼のあったサイエンスライブショーの公演を行うようになった。1998年、科学技術館で米村の実験助手を務めていたチャーリー西村などと共に、「米村でんじろうサイエンスプロダクション」を立ち上げた。2004年より、岩手大学で任期付き客員教授を務めた。2005年、愛知万博では、長久手会場日本広場内にて「日本館わくわくエネルギー教室」を監修し、自ら出演して実演実験を行った。2006年4月20日には、科学技術館を視察に訪れた内閣総理大臣小泉純一郎が、遠足で訪れていた厚木市立厚木第二小学校の小学5年生の28人と一緒に米村の実験ショーに参加した。2007年9月には、NHKの番組撮影と国際協力機構(JICA)のサポートで、ケニアの中学校、孤児院などで科学実験の授業を行った。 2008年にチャーリー西村が独立したが、その後もアシスタントとして杉木優子、ジャイアン村上、市岡元気などのキャスティングでサイエンスライブショーを各地で実施している。
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