JR福知山線脱線事故
福知山線脱線事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/12 03:23 UTC 版)
2005年4月25日に発生した福知山線脱線事故についても幾つかの批判を行っている。 事故当日の読売新聞夕刊では角本良平等と共にコメントし、被害映像の大きさから「これまでに前例のない事故で、今の段階では原因が全く分からない」と述べた。毎日新聞夕刊の記事では「事故車両が鉄製車両に比べ強度の劣るステンレス製でなければ、車両がマンションにめりこむようなことはなかったのではないか。死傷者も鉄製車両なら半分で済んだと思う。(中略)コスト重視の一方で、このような万一の事故の際の車両強度などを十分に検討してこなかったのではないか。」とし、事故車両の車体強度に問題があり、これが事故の重大化を招いたという考えを示した 。なお、事故翌日の産経新聞では桜井の他複数の専門家がコメントをしている。この内後述の佐藤同様に車体強度の強化に否定的だったのは松本陽(交通安全研究所交通システム研究領域長)で、桜井同様にステンレス車両の強度が鉄製車両より落ちるとし、「脱線した場合の設計をしていないのではないか」と疑念を呈したのは吉本堅一(防衛大学校、車両工学教授)であった。これに対し、佐藤国仁は本事故のような衝突条件において、車体を強化することで乗客の生存空間を確保する車体設計を「『事故が起きた。車体がひしゃげた。だから車体強度を上げよ』という要求は、事故時のエネルギを勘案すれば実現不可能な暴論であることは明らか。」と論じ、事故の重篤化の原因を車体強度に求める議論を厳しく批判している。事故の対策についても、「(車体強度を上げるという考えは)無論、事故対策の理念としても誤っている。」とした上で、「技術によって実現すべき理想の姿は『衝突しても安全な技術』よりも『衝突させない技術』のほうであると考えている」「まず踏切保安設備の拡充など『衝突させない技術』が第一に採るべき安全方策である」「安全はまず機械設備で確保し、それで漏れてしまうところを人の管理によってカバーするのが原則。それなのにJR西日本はATS改善を後回しにし、厳しい運転ダイヤによる運行を開始した。明らかにリスクアセスメントの誤り。」などと論じている。 ただし、桜井は佐藤から私信があったことを紹介し「車両構造に改善を求めるのは的外れであり、起こらないように工夫すべき」と主張されていたことに対し、「人間の注意力と簡単な工学的安全対策だけで大惨事が防止できるのであれば、過去の大惨事はすべて防止できていたはずである。やはり、二重三重の工学的安全対策を施し、最悪の事故を想定した安全評価を実施する必要がある」と反論している。 事故の翌26日には『朝日新聞』で再び角本と共にコメントを出し、角本が「運転士が制御できなくなるほどの速度を出すとは通常考えられない」とし、石の粉砕痕がある事実を重視したのに対し、桜井は「JRは時刻通りに列車を運行させることを最優先としており守れない運転士はマイナス評価を受ける。遅れを取り戻すためにスピードを出しすぎた可能性がある」と指摘している。 しかし、その翌日の新聞記事では「事故当時は各車両に百人以上が乗っていたため、重量が増した車体は安定した状態にあり、速度超過が直接の原因とは考えにくい」と解説し、主張を二転三転させた。 その後桜井は本事故の中間報告に対する批評を掲載し、保安機器について事故区間がATS-Pへの切替計画中であった事実を挙げ、「ATS-Pが設置されていれば、今回のような事故は防止できたと考えられる」とした。
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