概説・歴史とは? わかりやすく解説

概説・歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 17:05 UTC 版)

岐阜放送」の記事における「概説・歴史」の解説

1962年9月地元地方紙である岐阜新聞社当時岐阜日日新聞社)により完全子会社ラジオ岐阜として設立同年12月24日全国45番目にラジオ放送開始したきっかけとなったのは、1959年発生した伊勢湾台風以降に、当時存在した県域ラジオ局の「ラジオ東海」 が、三重県域のラジオ局近畿東海放送」(旧・ラジオ三重)と合併し中京圏広域ラジオ局である東海ラジオ放送1960年4月開局となったことや、NHK岐阜NHK名古屋から配信されている番組そのまま放送していたため、大規模な自然災害などが起きた時に岐阜県主体とした報道機関がないことへの不安からと言われている。その後1968年8月テレビ放送事業開始するにあたり現在の岐阜放送改称した1992年4月より、岐阜テレビ岐阜ラジオというテレビ・ラジオごとの新たな呼称採用された。後にラジオは、系列岐阜新聞社出資するエフエム岐阜(FM GIFU)を意識してか、「AM岐阜ラジオ」に呼称変更している。 2005年には、開局以来初のマスコットキャラクターはちゃ丸登場2007年には、開局45周年機に岐阜市今小町市役所などが立ち並ぶ岐阜市中心街岐阜新聞社の隣)からJR東海岐阜駅前に建設され再開発ビル岐阜シティ・タワー43」(2007年10月13日オープン)の4階フロア本社移転同年11月11日111111秒より放送開始した。これに先だち、同年10月1日より同局通称ぎふチャンとし(社名変更なし)、テレビ・ラジオの番組表での表記変更された。ただし、現時点では正式名称の「岐阜放送」が放送局名として番組使用される例もみられる。また公式サイト一新されトップページミニ画面で「ぎふ100%」などのCM視聴出来る他、一部アナウンサー日記掲載し始めるなど、以前よりも内容充実した2011年7月24日地上デジタル放送完全移行機に、新キャラクターの「UPるんチャン」が登場した2013年4月1日、テレビ・ラジオ兼営民放局だった中部日本放送が、ラジオ放送事業CBCラジオ分社したため中京広域圏における唯一のテレビ・ラジオ兼営民放局となった2013年12月9日には堀江博海代表取締役社長就任したものの、同じく就任した岐阜新聞社での騒動により4日後に辞任追い込まれ、約1年間社長職は空席になっていた。しかし、2014年12月8日常務だった森田順子社長職に昇格させる人事発表したことで終息した。なお就任当初森田全国民放連加盟テレビ局の中で唯一の女性社長だった。 以上の経営上の混乱収束させる過程で、長らく競合関係にあった中日新聞社資本参加している。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}テレビとAMラジオ事業者として珍しく報道局持っていないため、岐阜新聞社報道取材委託をしている。そのため、ニュース番組ニュース速報は、必ず岐阜新聞製作協力であることの旨が添えられている[要出典]。 GBSラジオ業務のほとんどが関連企業岐阜新聞岐阜放送クリエイト業務委託されていて、GBS社員ラジオ業務関わるのはアナウンサー管理責任者のみである。 放送エリア岐阜県南北に広いため、本社以外に高山市にもラジオ・テレビ兼用スタジオ置いている。前者では独自に番組制作されており、以前専属アナウンサー配置していたが、後にひだ高山総局長が務めることになった

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概説・歴史

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野球朝鮮民主主義人民共和国代表」の記事における「概説・歴史」の解説

1974年7月に、キューバ代表招いて7試合平壌市沙里院市新義州市の各都市で2試合南浦市1試合)を戦った。この時点では、全国15チーム存在し、その中からナショナルチーム組織されていた。南浦には、北朝鮮初の野球場建設されていた。このキューバ代表との対戦で、北朝鮮代表はホームラン2本(二塁手のキム・ウォンシク、投手のユン・チャラン)を含む37本のヒット放ったまた、キューバ代表を1安打抑えた試合が2試合あったものの、どちらの試合も1安打ホームランであり、北朝鮮代表は7戦全敗であった初め国際大会参加したのは、1991年新潟開催され第1回5カ国野球大会で、1勝3敗の成績残した漢陽大学校1-16の7回コールド負けなどを喫したが、当時北朝鮮チームは「適応力良くて、力が強い」という評価受けた1993年にはオーストラリア開かれたアジア野球選手権大会出場韓国代表と対戦したが、0-11の7回コールド敗退している。 それ以降は、現在まで主要な国際大会への参加見られていない

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概説・歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/13 00:50 UTC 版)

Jリーグアフターゲームショー」の記事における「概説・歴史」の解説

2007年シーズンよりスカチャン放送開始当初スカパー!パーフェクト・チョイスe2 by スカパー!(現スカパー!e2)はスカチャン!)で放送当日開催され全試合ハイライトのほかに試合直後監督選手の声を伝えたほか、試合終了直後会場中継をつなぎ、当日出演した解説者選手出演したりする場合があった。 番組2007年8月11日放送をもってリニューアル放送開始時間が35早くなり(19開始ゲームがあるときは従来2150開始だったのが21時15分開始変更)、番組放送時間60分から75分に拡大された。 オフシーズン中には、「週刊JリーグアフターゲームショーPLUS」を毎週日曜日 21:00 - 22:00生放送していた。 2012年2月放送され開幕直前スペシャル番組において番組終了と、新たにマッチデーJリーグ』が編成されることが発表された。

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概説・歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 19:30 UTC 版)

SONY MUSIC TV」の記事における「概説・歴史」の解説

洋楽プロモーションビデオ中心に紹介していた番組である。当時プロモーションビデオ無償入手することができ、日本各地で各局がプロモーションビデオ紹介番組制作していた。 タイトルよりソニー一社提供で、開始当初放送時間200分(3時間20分)だった。この放送時間は、自社製品VTRベータマックスプロモーション兼ねており、放送連動して200テープ・L-830が発売された。当時VHS標準モード最長120分(2時間) - 160分(2時間40分)で1本のテープ録画できないことから、ベータ方式優位性アピールすることができた。しかし、ソニーVHS方式VTR発売開始した1989年春の改編放送時間が2時間短縮1993年頃にはさらに短縮され90での放送となった番組スタート時にはTVKKBS京都共同制作であったが、1984年頃にTVK音声多重放送(この場合ステレオ放送)が開始され、それを受けてTVK単独制作へと切り替わった実際番組制作担当したのは、番組制作会社のインプットビジョン)。ネット局TVKKBS京都サンテレビの3局。後に千葉テレビテレビ埼玉テレビ愛知へとネット拡大した基本的に同時ネット番組であったものの、テレビ東京系列であるテレビ愛知は、編成上の都合から60遅れネットとなり、サンテレビでは阪神戦中継延長の場合限り放送時間繰り下げ対応していた。 一度放送日大晦日になった1993年12月31日放送分のみ、横浜市内の海の見えカフェバーから生放送独立UHF放送局年末特番として独立UHF放送局フルネットされた。これは『民放テレビ版のゆく年くる年終了後独立UHF放送局ではTVK制作毎年フルネット年越し特番放送していた(1989/1990年から1998/1999年まで)ことから、この年大晦日がちょう金曜日だったための措置である。なお、この回は独立UHF局11局(当時同時ネットスポンサーネット全局ソニー1社提供となった一方で通常時ネット局であったテレビ愛知では、テレビ東京系列特別番組及び編成優先されたため放送されなかった。 当時パーソナリティを置く洋楽ビデオ番組は他にも存在したが、期首期末など特別企画時を除き司会者ゲストなど一切なく(それ以前収録のためのスタジオ使用せず)、オープニング続いて1本目ビデオ・クリップ流れ時の新作ヒット曲中心としたビデオが、時折ロゴアニメーションソニー製品のCM挟みつつ、終了時刻まで淡々とオンエアされるという、番組であった当日オンエア曲目は、電話での自動音声による案内と、ネット局本社・支社などの受付での無料配布TVKFAXサービスでのコピー紙の無料配布によって、分刻みのかなり詳細なオンエア時刻まで照会することができた。番組詳細小学館当時発売していた隔週刊テレビ情報誌『テレパル』でも毎号掲載された。なお、この掲載放映局紹介スペースでは、当初併せてステレオ放送実施局案内毎号載っていたが、音声多重放送実施局増えるモノラル局の案内変わっていた。 また、他の同種番組でよく見受けられクリップ最後フェイド・アウトされたり冒頭部分カットされるようなこともなくマイケル・ジャクソンの「スリラーのような長いクリップなども全編ノーカットオンエアされた。 放送100回目迎えた週は、冒頭に「Fright Night」が流れたほかは、それまでの回で1曲目紹介したクリップ(つまりツカミ)が放送されるという、ある種の「総集編」「回顧企画」的な構成であったプロモーションビデオごとに「SONY MTV」という番組の略称ロゴテロップ(ストリーミングジングルズ)で出たクリップの間にはアニメーションロゴ存在した末期には番組八分音符の形をかたどったキャラクター出現し欧米女性つかまえられCGアニメにも登場していた。 オープニング当初PINKの「ZEAN ZEAN #0」、後にPINK福岡ユタカ在籍したユニットHALOの「AMANA原型エンディング当初PINK水の都」、後に同じくPINKの「SOUL FLIGHT」。エンディングでは独自のCGアニメ存在した。なおオープニングでは、放送期間TVK制作音楽番組冒頭で共通に流れていたその時々のビジュアルロゴ(例えば「Let's feel the MUSIC TELEPATHY」「YOLIMASHI」等)も流れネット局でも見ることができた(「ミュージックトマト」「ミュージックトマトJAPAN」等でも同様)。なお、「Let's feel the MUSIC TELEPATHY」のナレーション読み)は中村真理担当した

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概説・歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:11 UTC 版)

ヴィンテージベースボール」の記事における「概説・歴史」の解説

アメリカ合衆国プロ野球組織設立・活動をはじめて100年経った1970年代後半から、野球始まった当時ルール服装再現した野球ゲームを行う動き始まり1980年代入りこの懐古的な野球を楽しむクラブの活動徐々に活発になっていったヴィンテージ・ベースボールとしての最初試合は、1980年ニューヨークのオールド・ベスページという場所で、野球史愛好家の手によって1860年当時ルール試合が行われたのが最初であるとされるその後1995年に「ヴィンテージ・ベース・ボール協会」(Vintage Base Ball Association)が設立され加盟クラブ間での交流試合手助けをするようになった。この組織では1860年代ルールをもとにゲームが行われている。 また元ニューヨーク・ヤンキース等で投手として活躍したジム・バウトンJim Bouton)を理事長とする「ヴィンテージ・ベース・ボール連盟」(Vintage Base Ball Federation)は1880年代ルールをもとに、住民参加町おこし兼ねて各地ゲーム行っている。2004年7月3日マサチューセッツ州ピッツフィールド開かれたヴィンテージベースボールイベントでは、6000人もの観客詰め掛けた。 ヴィンテージ・ベース・ボール連盟等の資料によると、クラブは現在アメリカ合衆国全土カナダオンタリオ州)などに数百あると言われ中にはかつて19世紀メジャーリーグベースボール加盟していたチームと同じフランチャイズで、同名名乗って活動しているクラブ見られる(例:ニューヨーク・ミューチュアルズプロビデンス・グレイズハートフォード・ダークブルース等)。 なお『ヴィンテージベースボール』の綴りは、19世紀当時のそれにならって、"Base"と"Ball"を別々の単語で書くのが正し記述だそうである。 また、日本においても、松山 市など各地で「古式野球が行われている。

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概説・歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 22:21 UTC 版)

TOYOTA WEEKLY ALBUM TOP10」の記事における「概説・歴史」の解説

1994年4月2日土曜日15:00-16:55で『TOYOTA WEEKLY ALBUM TOP30』(トヨタ・ウイークリー・アルバム・トップサーティー)として放送開始。『KOSE カウントダウン・ジャパン(現:JA全農 COUNTDOWN JAPAN)』『コスモ ポップス ベスト10』に続く第3ランキング番組で、この時からカウントダウンステーション確立する初代パーソナリティ市川博樹(現:ARCHE)と原田直美東京渋谷パルコにあるTOKYO FM渋谷スペイン坂スタジオからの生放送で、邦楽J-POP)・洋楽それぞれの最新CDアルバムランキング発表しアルバム収録曲紹介するほか、毎回ゲスト1組登場して最新アルバムについてトーク展開するのも魅力一つであった。もちろん『カウントダウン・ジャパン』などと同様にゲストによってはスペイン坂スタジオ前にファン殺到することも多かった当初は2時間番組で、30位までランキング発表していたが、1994年10月1日16:30-16:55で『ONIX ゴールデン・ヒッツ』が開始されたことで、放送時間16:25までに短縮されるその後ランキング10位までとなり『TOYOTA WEEKLY ALBUM TOP10』に改称される1998年9月26日放送を以て原田卒業翌週10月3日より放送時間15:55までに短縮1時間番組となる(『WONDA THE GOLDEN HITS』の時間拡大に伴う措置とともにクリステル・チアリが新パーソナリティとして登場市川続投)。 1999年6月26日番組開始から務めた市川卒業同時にチアリ卒業し番組史初めパーソナリティそろって交代となる。7月3日放送から、川上真二(現:SINJI)と有坂来瞳コンビ登場する2000年3月、TOP30時代含めた番組シリーズ6年間の歴史に幕下ろした。 なお、カウントダウンステーション第3部トヨタ一社提供後番組の『TOYOTA SUPER WORLD COUNTDOWN』とその後の『TOYOTA SOUND IN MY LIFE』まで続くこととなる。また、SINJI有坂コンビは『SOUND IN MY LIFE初期までの3番組に亘ってTOKYO FM土曜午後3時台支えた。 なお、当時JFN加盟各局中FM三重では最後までネットされなかった。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 21:30 UTC 版)

森永ミルクキャラメル」の記事における「概説・歴史」の解説

キャラメル販売自体森永製菓前身森永西洋菓子製造所1899年明治32年)に創業した頃から行われてきたが、現在の商品になったのは1913年大正2年)からである。発売当初高温多湿日本の気候合わずキャラメル溶けてしまうという性質から、森永太一郎改良重ね1914年大正3年)、携帯用のミルクキャラメルが発売される初期ブリキ缶1斤に1粒5厘のばら売り販売されていたが、容器代などに経費がかかり、高級菓子となってしまったため、その後、現在まで続く黄色図案の紙容器となった大正末期から昭和20年代にかけては帯封をしていたが、その後廃止された。 1935年昭和10年)から第二次世界大戦終戦までは帯に「祈武運長久」の文字入れられていたり、またブリキ缶による慰問用のミルクキャラメルが発売されたりと、戦時色の濃いものもあった。 12入りミルク森永製菓全商品中、現在も唯一昔のエンゼルマークを使用している。なお、箱入り商品は箱内部の中舟と呼ばれるキャラメル乗せている部分の裏側に「懐かし風景」というコーナー印刷され大正・昭和時代世相懐かし遊び挿絵とともに紹介していた。現在は簡単3Dアート

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