さび【寂】
読み方:さび
4 謡曲・語り物などの声の質で、声帯を強く震わせて発する、調子の低いもの。
5 連歌・俳諧、特に、蕉風俳諧で重んじられた理念。中世の幽玄・わびの美意識にたち、もの静かで落ち着いた奥ゆかしい風情が、洗練されて自然と外ににおい出たもの。閑寂さが芸術化された句の情調。→撓(しおり) →細み →軽み
じゃく【寂】
読み方:じゃく
[常用漢字] [音]ジャク(呉) セキ(漢) [訓]さび さびしい さびれる
〈ジャク〉
1 ひっそりと静かなさま。さびしい。「寂寂・寂然(じゃくねん)・寂寞(じゃくまく)/閑寂・静寂・幽寂」
〈セキ〉の1に同じ。「寂寂・寂然(せきぜん)・寂寞(せきばく)・寂寥(せきりょう)」
[名のり]しず・ちか・やす
じゃく【寂】
せき【寂】
読み方:せき
⇒じゃく
せき【寂】
わび・さび
(寂 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/13 05:33 UTC 版)
わび・さび(侘《び》・寂《び》)は、慎ましく、質素なものの中に、奥深さや豊かさなど「趣」を感じる心、日本の美意識。美学の領域では、狭義に用いられて「美的性格」を規定する概念とみる場合と、広義に用いられて「理想概念」とみる場合とに大別されることもあるが[1]、一般的に、陰性、質素で静かなものを基調とする[2]。本来は侘(わび)と寂(さび)は別の意味だが、現代ではひとまとめにして語られることが多い[3]。茶の湯の寂は、静寂よりも広く、仏典では、死、涅槃を指し、貧困、単純化、孤絶に近く、さび(寂)はわびと同意語となる[4]。人の世の儚(はか)なさ、無常であることを美しいと感じる美意識であり、悟りの概念に近い、日本文化の中心思想であると云われている[5]。
- 1 わび・さびとは
- 2 わび・さびの概要
寂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 03:25 UTC 版)
寂(さび、寂び、然びとも)は、「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」を言い、動詞「さぶ」の名詞形である。 本来は時間の経過によって劣化した様子を意味している。漢字の「寂」が当てられ、転じて「寂れる」というように人がいなくなって静かな状態も表すようになった。さびの本来の意味である「内部的本質」が「外部へと滲み出てくる」ことを表す為に「然」の字を用いるべきだとする説もある。ものの本質が時間の経過とともに表に現れることをしか(然)び。音変してさ(然)びとなる。この金属の表面に現れた「さび」には、漢字の「錆」が当てられている。英語ではpatina(緑青)の美が類似のものとして挙げられ、緑青などが醸し出す雰囲気についてもpatinaと表現される。 「さび」とは、老いて枯れたものと、豊かで華麗なものという、相反する要素が一つの世界のなかで互いに引き合い、作用しあってその世界を活性化する。そのように活性化されて、動いてやまない心の働きから生ずる、二重構造体の美とされる。 本来は良い概念ではなかったが、寂しいという意味での寂は古く『万葉集』にも歌われている(「わび・さびの語源と用例」参照)。寂に積極的な美を見出したのは平安時代後期の歌人藤原俊成(しゅんぜい・としなり1114-1204)であると一般に言われる。歌の優劣を競う「歌合(うたあわせ)」の席で、歌の姿を「さび」ととらえ、それを評価したのである。歌われる「さびしさが重要な要素で、」「その寂しさを評価」(『さび ―俊成より芭蕉への展開』p.34 復本一郎 塙親書57 1983)した。 俊成の子定家(さだいえ・ていか1162-1241)は「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」(『新古今和歌集』363番)と詠み、夕暮れの静けさや寂しさを歌った。ここにも静けさや寂しさのなかに美を見出したことが示されている。またこの歌は、茶の湯の武野紹鴎によって侘び茶の心であると評されてもいる(前出『南方録』「わび茶の心」p.93)。 吉田兼好(1283-1352頃)が書いたと言われる『徒然草』(1330~1349ごろ成立)には「羅(うすもの)は上下(かみしも)はづれ、螺鈿(らでん)の軸(じく)は貝落ちて後こそいみじけれ」といった友人を立派であると評して(第八十二段)、古くなった冊子を味わい深いと見る記述がある。また、「花はさかりに、月くまなきをのみ見るものかは」(第百三十七段)として、つぼみの花や散りしおれた花、雲間の月にも美が見出されることを示している。このような美を提示する『徒然草』も、「無常観によって対象を見ていた」と言われる。(前出『さび ―俊成より芭蕉への展開』p.57) 兼好は出家僧であり、「己をつづまやかにし、奢りを退け、財(たから)を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき」(『徒然草』第十八段)と述べており、禅の生き方を理想としていることが読み取れる。侘の美意識とも重なる。また、兼好が生きた中世には『平家物語』や『方丈記』が成立し、無常観が意識されていた時代でもあった。兼好は「これまでにない高度で深遠な美的態度を表明した」(『侘びの世界』p.13 渡辺誠一 論創社 2001)といえる。この頃には寂しいもの不完全なものに価値を見出し、古びた様子に美を見出す意識が明瞭に表現されていたことが確認される。寂は室町時代には特に俳諧の世界で重要視されるようになり、能楽などにも取り入れられて理論化されてゆく。寂をさらに深化させて俳諧に歌ったのが江戸時代前期の松尾芭蕉(1644-1694)である。芸術性の高い歌を詠み、その独自な趣は蕉風と呼ばれた。寂は芭蕉以降の俳句では中心的な美意識となるが、芭蕉本人が寂について直接語ったり記した記録は非常に少ないとされる。芭蕉は「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一(いつ)なり」(『芭蕉文集』「笈の小文」p.52 日本古典文学大系46 岩波書店)と述べる。この「貫道する物」は「風雅」(同、p.52注)であり、風雅とは「広義には芸術、狭義には俳諧」(同、p.52注)をさす。そして、「風雅論に根ざして生まれたもの」(『芭蕉研究論稿集成』第一巻 「さび・しをり・ほそみ」p.428 潁原退藏 クレス出版)のひとつとして寂がある。しかし、さびしさをそのままさびしいと歌ったのみでは歌の評価は低い。歌の中に「さびしさを詠み込むことであったのであり、鑑賞する側から言えば、叙述された景の中にさびしさを読み取ること」(前出『さび ―俊成より芭蕉への展開―』p.87)が必要である。このあり方が歌の、絵の、茶の湯の、美を高める。しかも、それが自然にありのままになされるところが肝要である。わざとらしさ、ことさらな演出はかえって作り物の偽物になってしまうからである。そして、常時寂の境地にあることができるもののひとつが旅であった。「さびと孤独とのかかわりは、旅を通してあるいは草庵を通して、…すこぶる緊密である。」(『芭蕉における「さび」の構造』p.49 復本一郎 塙選書77 昭和48年) 芭蕉は草庵に住み、また、漂泊の旅の中で歌を詠み続けた。これは「人をして孤独の極に立たしめ、自己の内部における寂しさの質の転換を迫る場所」であり、そこで「本来、否定されるべきさびしさは、肯定すべき境地としての位置を占める」(前出『さび ―俊成より芭蕉への展開―』p.115) に至り、俳諧の「さび」となる。芭蕉に「この道や行く人なしに秋の暮れ」という歌がある。最晩年の歌である。「この道」は、秋の暮れに歩く人もいないさびしい道である。一般にこの句は、芭蕉の歩む俳諧の道が孤独であることを歌っている、と解釈される。しかし、芭蕉は仕官して立身出世しようとしたり、学問により自らの愚かさを悟ろうとしたり(前出『笈の小文』p.52)、仏門に入ろうとしたり(『幻住庵記』)したが、俳諧の道を選んだのである。このことを鑑みるに、「この道」は俳諧の道以上のものであるだろう。芭蕉における寂の精神性の深さがある。「この道」は「絶対的な存在としての道」(『侘び然び幽玄のこころ』p.198 森神逍遥 桜の花出版)であろう。「寂びしい自分の姿を超越した絶対的な静寂がそこを支配している」(同)という根源的事実の表現である。ここに寂び観の本質があり、これが仏教の根本と重なるのである。 侘びとともに利休以後の茶道の真髄として語られる寂びだが、意外なことに利休時代の茶の文献には見当たらない。「侘び」の項に挙げた山上宗二記の侘びの十ヶ条にも寂びは見られず、同書の他の部分にも「寂び」「寂びた」の語は現れない。おそらく江戸時代以降、俳諧が盛んになり寂びの概念が広がるとともに、侘びと結びつけられて茶道においても用いられることになったものであろう。 俳諧での寂とは、特に、古いもの、老人などに共通する特徴のことである。寺田寅彦は芭蕉の「さびしおり」を「自我の主観的な感情の動きを指すのではなくて、事物の表面の外殻を破ったその奥底に存在する真の本体を正しく認める時に当然認められるべき物の本情の相貌を指していう」(「俳諧の本質的概論」『寺田寅彦全集』第十二巻 p.90 岩波書店 1997年)とする。単なる寂しいや悲しいではなく、「もっと深い処に進入している」(同)のである。そして、芭蕉にこのことが可能であったのは、「自然と抱合し自然に没入した後に、再び自然を離れて静観し認識するだけの心の自由を有(も)っていた」(同p.105)からであると言う。さらに、俳句という領域を超えて、あるいは現代人においては、「飽く処を知らぬ慾望を節制して足るを知り分に安んずることを教える自己批判がさびの真髄ではあるまいか」(「俳句の精神」同全集同巻 p.147)とも言うのである。このような境地に立つときに見えてくる、古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさが寂びなのである。例えば、コケの生えた石がある。誰も動かさない石は、日本の風土の中では表面にコケが生え、緑色になる。日本人はこれを、石の内部から出てくるものに見立てた。 また、内部的本質から外部へと滲みでてくる「然び」には、エイジング、錆びついていく、古めかしく「渋み」が出たアンティークの意味合いがある(前出『侘び然び幽玄のこころ』p.173)。このように古びた様子に美を見出す態度であるため、骨董趣味と関連が深い。たとえば、イギリスなどの骨董(アンティーク)とは、異なる点もあるものの、共通する面もあるといえる。寂はより自然そのものの作用に重点がある一方で、西洋の骨董では歴史面に重点があると考えられる。 わびさびは一般に茶の湯や俳諧の場面で論じられる。利休も芭蕉も歴史に名を残す。わびさびの境地を深めるため、茶の湯という場を作り、あるいは、旅に出る。そこで侘しさや寂しさを生きるのである。しかし、わざわざ選び取るまでもなく、長い歴史の中で否応なくぎりぎりの侘しさや寂しさの中で日常を送ってきたのが、庶民であった。寂しさや侘しさに浸りきってしまっては生活は成り立たない。生きていくためには、「自己の内部における寂しさの質の転換」(同出『さび―俊成より芭蕉への展開―』p.115)をなさないわけにはいかない。「否定されるべきさびしさは、肯定すべき境地としての位置を占める」(同p.115)しかないのである。「諦めと受け入れの意識」(前出『侘び然び幽玄のこころ』p.51)の意識の中で生きるのであれば、侘び寂びの生そのものである。日常の生活空間である。しかし、この生は未だ「美にまでには昇華されていない。」(同p.52) そのためには、そのような侘しさ寂しさの生を生きながら、「ふと我に返り達観した思いの中で今を見詰め許容し、その人生乃至その時を愛でる」(同p.46 )ことがなければならない。この時の美は歴史の表舞台には現れないが、庶民の生活の中に息づいてきた。日本古来の神道の考え方、ハレとケとの伝統的な区別、仏教の教えなどと共に醸成された意識であろう。わびさびは、この現実の生活を営みながらも「世俗を離れ」(『日本大百科』「わび」)「飾りやおごりを捨て」(『大辞林』「わび」)、さらには「いっさいを否定し捨て去ったなかに」見えてくる、「人間の本質」(『日本大百科』「わび」)に直結した美意識である。それゆえ、否定し捨て去る度合いによってそれぞれに深浅の差があるにしても、「日本人の一般的な生活感情の領域にまで影響を与え、今日に至っている」(『日本大百科』「さび」)のである。 歴史に残る侘び寂びのみならず、庶民の生活の中にも侘び寂びが見出されることによって、侘び寂びは日本の美意識、日本の哲学であるといえる。
※この「寂」の解説は、「わび・さび」の解説の一部です。
「寂」を含む「わび・さび」の記事については、「わび・さび」の概要を参照ください。
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「寂」の例文・使い方・用例・文例
- どれほどの称賛とお金があっても彼女の寂しさを紛らわすことはないだろう
- 夜が更けるにつれ寂しさがつのった
- 彼女は寂しい生活を送るように運命づけられていた
- 寂しさは耐え難いほどつのった
- ぼくが君に会えなくてどれだけ寂しくなるかことばでは表せない
- 見知らぬ人々の中にいて寂しかった
- 寂しい旅行
- ケイト,あなたがいなくて寂しくなるわ
- ひとり暮らしをしている人が寂しいとは限らない
- 電車に乗っていて静寂を見出すのは難しい
- 彼女の叫び声が静寂を破った
- 寂しい
- 完全な静寂,沈黙
- 彼女は寂しい思いをしたがほっとした
- 彼は寂れた様子の町で車を止めた。
- 私たちは彼がいなくて寂しがるでしょう。
- 人生は彼ら抜きでは寂しくなってしまう。
- ジョンは寂しい少年だ。遊び相手がいたら、もっと幸せだっただろうに。
- あなたに会えなくて寂しい思いはしたくない。
- あなたが明日旅立ってしまうのは寂しい
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