日本の美意識とは? わかりやすく解説

日本の美意識

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 04:25 UTC 版)

美学」の記事における「日本の美意識」の解説

近代以前日本には、西洋のような一貫した形での思索集大成としての美学」は無い。しかし、いき、わびなどの個別美意識は、古くから存在しており、また茶道日本建築伝統工芸品などを通してさまざまな形実践されてきた。また、歌論能楽論画論などの個別分野での業績はあるものの、孤立した天才偉業という色彩濃く一枚岩美学ではない。これらの美意識は、自然と密接に関連しているが、西洋美学は、近代以前もっぱら「人間」中心に据えた芸術」のために発展した。そのため、日本の美意識は、西洋美学視点からは、十分に記述説明することができない近代以前日本事物について、「芸術」という視点を持つ美学から論じると、学問的文脈無視した議論となり、慎重を期すべきである。日本人自身も、日本の美意識を、明快に定義・説明することが困難であるのが現状である。今後複数視点生かした研究待たれる歴史的に見ると、日本神話天の岩戸挿話は、民族危機歌舞うたまい)の芸術によって救われたという意味であり、日本民族歴史占め比重大きさ示唆する。ここにおける理想的人間は「明(あか)き浄(きよ)き直(なお)きこころ」(宣命)という内面曇りの無いことに結晶し、罪はみそぎと祓いとによって水の果て風の果て消散されるとする宗教的呪術的心情には、美と清さとがなんらかの形において一致するという美学的思考胎生している。アメノウズメ踊りに関する記述には、乳房女陰に関する言及もある。 日本において美学的思考初め意識的に理論化されたのは、『古今和歌集』「仮名序」においてである。紀貫之は「仮名序」で、和歌純粋な心の結実であるとした(「やまと歌はひとつ心を種としてよろずの言の葉とぞなれりける」)。そして和歌天地開闢の時から出来した述べ和歌結集する芸術は、「生きとし生けるもの」の生の表現ヒトにおいてその精華開花させたものであるとした。 この歌論芸術批評創作指標として理論化されたのは、藤原公任の『新撰髄脳』、『和歌九品以降においてであり、後者の9分法は仏教における九品蓮台によると思われるが、基本的に中国唐代画論における品等論の影響推定される藤原公任によって最高の歌格とされた「あまりの心」は、藤原俊成壬生忠岑、そして鴨長明によって「余情(よせい)」として深度化され、幽玄と関係づけられた。 そのころ歌風は、「たけ」、「長高様」(崇高あるいは壮美)、「をかし」(趣向面白さ由来する美)など、美的カテゴリー細分化おこなわれ、「和歌十体」として体系化された。歌人西行(1118年-1190年)は2300首の、美意識あふれた和歌をよんだと伝えられている。 藤原定家は、「むかし貫之歌のたくみにたけおよびがたくことばづよくすがたおもしろき様をこのみて余情妖艶の体をよまず」(『近代秀歌』)として、「あはれ」(優美)の範疇開拓した藤原定家によって重んじられ幽玄様、右心体の趣を禅的思想深めた正徹は、「いかなる事を幽玄体と申すべきやらむこれぞ幽玄体とてさだかに詞にも心にも思ふ斗りいふべきにはあらぬ也」と、名状しがたい悟入境地芸術奥義とが照応していることを指摘した(『正徹物語』)。 ここから芸道精神生まれ演劇論としては、能の世阿弥の『花鏡』の「動十分心動七分身」(心を十分に動かして身を七分目に動かせ)という余情演技、「せぬが所が面白き」という「為手(して)の秘する所」を中心とする能の幽玄論の「かたちなき姿」を尊重する秘伝につながる。 これは、技法上の修練が必要であることに理解示したうえでの、俳人松尾芭蕉による、「俳諧三尺の童にさせよ初心の句こそたのもしけれ」(『三冊子』)という、「気」の芸術主張につながる。この内面的な自発性は、『笈の小文によれば西行和歌宗祇連歌雪舟の絵、千利休を貫く風雅精神である。 このことを別の側面から保証するように、文人画家池大雅は、絵画いかなることが困難であるかと質問されて、「ただ紙上一物もなきところこそなしがたし」と答えたという(桑山玉洲絵事鄙言』)。 この気の芸術神秘主義は、宇宙的生命自己表現から出発する日本の美思想起源するが、多分に中国思想仏教思想の影響がある。 一方、これに対して純粋な日本的精神による美学主張したのは国学者本居宣長である。本居宣長(『石上私淑言』)は、「事にふれてそのうれしくかなしき事の心わきまへしるを物のあはれを知るといふ也」と述べて事象自我との接触としての経験において事象本質認識したうえで成立する感動を、「物のあわれ」と規定した。そして、これを知る人を「心ある人といひ知らぬを心なき人といふ也」(同上)として、すなわち「もののあわれ」を知ることが人間人間たるゆえんであるとした。「なべて心に深く感ずる事は人にいひきかせてはやみがたき物」(同上)であるのだから、感動表現人間的な必然となる。」その表現手段の粋は、「に至るまでも(中略)おのれおのれが歌謡をなすものを人間として一向詠む事あたはざるは恥ずべきことのはなはだしきにあらずや」(『あしわけおぶね』)というように、和歌である。宣長儒教教えとは鋭く対立し芸術自律性主張した点においても、近代精神先取する側面があった。 このように美と芸術重視する思想的伝統があるために、西洋美学摂取成功したのであり、西周森鷗外以後においては東洋伝統に立ち茶道における老荘美学的世界観主張した岡倉覚三の『茶の本』、および西洋美学方法歌論研究してその側面から範疇論補足した大西克礼の『幽玄とあはれ』は注目すべきである近現代文化人としては三島由紀夫谷崎潤一郎泉鏡花江戸川乱歩らが美意識あふれた作品発表した戦後60年代以降寺山修司大島渚らがその美学引き継いだ解釈することも可能である。

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