日本の缶詰とは? わかりやすく解説

日本の缶詰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:15 UTC 版)

「缶詰」記事における「日本の缶詰」の解説

日本での初めての製造は、明治4年1871年)に長崎県で、松田雅典(まつだ・がてん)によってフランス人レオン・デュリー (Leon Dury)の指導の下、イワシ油漬缶詰試作が行なわれたとされている(この段階では缶詰という言葉存在していない)。 本格的な生産始まったのは1877年明治10年10月10日北海道石狩市で石狩缶詰所が創業したことによる初期にはアメリカ人Ulysses S.TreatとTrescott Swertの指導の下、サケ缶製造されていた。このことから日本缶詰協会はこの日、10月10日缶詰の日と定めている。当初缶詰は管詰と綴られた。 明治時代には、主に日本国外向け輸出用国内向けには軍需用として生産されていたため、庶民には普及しなかった。当時缶詰価格は、1缶が20銭から35銭で、白米1升が7.65銭であったことから、いかに高価な食品であったかがわかる。 本格的に普及するきっかけは、1923年大正12年)の関東大震災以降で、アメリカから送られ支援物資缶詰用いられことによるものとされる特殊な例になるが、第二次世界大戦時金属供出受けて開発され陶製代用品には缶詰含まれており、蓋付き陶製容器ゴム密封したものが「防衛食」という名称で当時多く流通した。だが、缶詰にする食料自体欠乏し、やがて製造打ち切られた。なお、戦後60年以上経過したものを開封してみても、中の食品品質問題はなかったという。 大正昭和通じて、かに、さけ、ます缶詰輸出華やかに行われていたが、昭和51年1976年)から昭和52年1977年)にかけて決定され200海里漁業専管水域設定により、それら缶詰輸出壊滅的な打撃を受け、約60年歴史閉じることとなった日本での缶詰消費量は、日本缶詰びん詰レトルト食品協会によれば406トン2017年推計であった。ただし、缶コーヒー果汁飲料の缶ドリンクを含むが、缶ビール炭酸飲料スポーツドリンク類は除かれている。250g缶相当で一人あたり127缶、ドリンク類を除くと33缶である。レトルトパウチなどの売り上げ伸びており、缶詰消費量若干減少傾向にある。

※この「日本の缶詰」の解説は、「缶詰」の解説の一部です。
「日本の缶詰」を含む「缶詰」の記事については、「缶詰」の概要を参照ください。

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