日本の缶詰
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日本での初めての製造は、明治4年(1871年)に長崎県で、松田雅典(まつだ・がてん)によってフランス人レオン・デュリー (Leon Dury)の指導の下、イワシ油漬の缶詰の試作が行なわれたとされている(この段階では缶詰という言葉は存在していない)。 本格的な生産が始まったのは1877年(明治10年)10月10日、北海道石狩市で石狩缶詰所が創業したことによる。初期にはアメリカ人Ulysses S.TreatとTrescott Swertの指導の下、サケ缶が製造されていた。このことから日本缶詰協会はこの日、10月10日を缶詰の日と定めている。当初は缶詰は管詰と綴られた。 明治時代には、主に日本国外向けの輸出用、国内向けには軍需用として生産されていたため、庶民には普及しなかった。当時の缶詰の価格は、1缶が20銭から35銭で、白米1升が7.65銭であったことから、いかに高価な食品であったかがわかる。 本格的に普及するきっかけは、1923年(大正12年)の関東大震災以降で、アメリカから送られた支援物資に缶詰が用いられたことによるものとされる。 特殊な例になるが、第二次世界大戦時の金属供出を受けて開発された陶製代用品には缶詰も含まれており、蓋付きの陶製容器をゴムで密封したものが「防衛食」という名称で当時は多く流通した。だが、缶詰にする食料自体が欠乏し、やがて製造は打ち切られた。なお、戦後60年以上経過したものを開封してみても、中の食品の品質に問題はなかったという。 大正、昭和を通じて、かに、さけ、ます缶詰の輸出が華やかに行われていたが、昭和51年(1976年)から昭和52年(1977年)にかけて決定された200海里漁業専管水域の設定により、それら缶詰の輸出は壊滅的な打撃を受け、約60年の歴史を閉じることとなった。 日本での缶詰の消費量は、日本缶詰びん詰レトルト食品協会によれば406万トン(2017年推計)であった。ただし、缶コーヒー、果汁飲料の缶ドリンクを含むが、缶ビールと炭酸飲料、スポーツドリンク類は除かれている。250g缶相当で一人あたり127缶、ドリンク類を除くと33缶である。レトルトパウチなどの売り上げが伸びており、缶詰の消費量は若干減少傾向にある。
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