日本の羊の歴史とは? わかりやすく解説

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日本の羊の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 22:47 UTC 版)

ヒツジ」の記事における「日本の羊の歴史」の解説

日本列島には古来より、旧石器縄文時代イヌ弥生時代のブタ・ニワトリ、古墳時代ウマ・ウシなど家畜含め様々なものが海を越えて伝わったが、羊の飼育及び利用記録乏しい。寒冷な土地多く防寒用に羊毛利用される下地はあったが、動物遺体出土事例報告されていないことから、ほとんど伝わらなかったものと考えられている。 考古資料では鳥取県鳥取市青谷上地遺跡において弥生時代の琴の部材考えられている木板頭部湾曲する二重円弧の角を持つ動物描かれており、ヒツジもしくはヤギ表現したものとも考えられている。 文献史料においては、『魏志倭人伝』(『魏書東夷伝倭人の条)では弥生時代末期3世紀前半代)において日本列島にはヒツジがいなかったと記されている。 8世紀初頭成立した『日本書紀』では、推古天皇7年599年)に、推古天皇対し百済朝鮮半島南西部)からの朝貢物として駱駝(らくだ)、驢馬(ろば)各1頭、白雉1羽、そして羊2頭が献上されたという。これが日本国内において、羊について書かれ最初史料である。西域動物であるラクダロバとともに献上されていることから、当時日本列島では家畜としてのヒツジ存在していなかったとも考えられている。 奈良時代天武天皇時代関東活躍した人物に「多胡羊太夫(たご ひつじだゆう)」という人物がいると伝わり関連して群馬県安中市羊神社愛知県名古屋市にも同名羊神社がある)などが残る程度であり、羊自体存在飼育記録確認できない8世紀には、奈良県平城宮跡三重県斎宮跡から羊形の硯(すずり)が出土している。8世紀中頃には、正倉院宝物含まれる臈纈屏風ろうけちのびょうぶ)」にヒツジ図像見られる。 『日本紀略によれば嵯峨天皇治世弘仁11年820年)には、新羅からの朝貢物として鵞鳥2羽、山羊1頭、そして黒羊2頭、白羊4頭が献上されたという。さらに、醍醐天皇治世延喜3年903年)には唐人が“羊、鵞鳥献ず”とあり、他の記録含め何度日本に羊が上陸した記録はあるが、その後飼育土着された記録はない。故に日本服飾長く、主に植物繊維原料とするものばかりであった仏教影響色濃く受けた故に肉食があまり推奨されてこなかったことから食肉用はともかく、羊毛製品には全く需要がなかったわけではなく貿易品としての羊の毛織物人気は高いが高額であり、長らく一部有力者富裕層のみに珍重されていた。 江戸時代文化2年1805年)に江戸幕府長崎奉行成瀬正定が羊を輸入し唐人中国人)の牧夫使役し肥前浦上で飼育を試みたが、失敗幕府奥詰医師であった本草学者渋江長伯行動的な学者であったらしく、幕命により蝦夷地まで薬草採集出向いたりしていた。長伯は幕府医師だけではなく江戸郊外にあり幕府薬草園であった広大な巣鴨薬園総督兼ねていたが、文化14年1817年)から薬園内で綿羊飼育し羊毛から羅紗織の試作行った巣鴨薬園はゆえに当時綿羊屋敷」と呼ばれていた。 明治期に入るとお雇い外国人によって様々な品種ヒツジ持ち込まれたが、冷涼な気候適したヒツジ日本湿潤な環境馴染まず、多く品種定着しなかった。日本政府牛馬普及重視したが、外国人ル・ジャンドル軍用毛布のため羊毛自給必要性説き1875年明治8年)に大久保利通によって下総牧羊場が新設された。これが日本での本格的なヒツジの飼育の始まりである。 民間では、1876年明治9年)に蛇沼政恒が岩手県政府から100余頭の羊と牧野借りて始めたのが先駆で、以後数百規模牧場東日本各地開かれた。ただ、生産され羊毛買い上げるのは軍用千住製絨所限られ品質で劣る日本産羊毛販売価格低く羊肉需要がないこともあって、経営的に成功しなかった。1888年明治21年)には政府奨励政策打ち切りになり、官営下総牧羊場も閉鎖された。 しかし、国内羊毛製品需要軍需民需ともに旺盛で、しだいに羊毛工業発達した戦前から戦後間もない時期までの日本にとって毛織物重要な輸出品だったが、その原料オーストラリアとニュージーランドなどからの輸入頼っていた。一度失敗認めた政府にも、国産羊毛振興したいという意見根強くあり、1918年大正7年)から「副業めん羊」を普及させた。農家自家の農業副産物を餌にして1頭だけ羊を飼い、主に子供世話をして家計足しにするという方法である。副業めん羊東日本山間地の養蚕農家の間に広まった1957年昭和32年)には統計上で94頭、実数ではおそらく100万頭を超える数が日本国内飼育されるようになった。しかし、その後海外から安価に羊肉及び羊毛入ってきたことや、化学繊維普及したため、国産羊毛需要急減し24年後の1981年昭和56年)になると、国内の羊の飼育数は、100分の1程度の約1万頭にまで激減したその後、肉利用目的とした羊の飼育が再び増加し1991年平成3年)には3頭を超える数まで増加した。その8割はサフォーク種である。

※この「日本の羊の歴史」の解説は、「ヒツジ」の解説の一部です。
「日本の羊の歴史」を含む「ヒツジ」の記事については、「ヒツジ」の概要を参照ください。

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