弥生時代末期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 06:57 UTC 版)
崇神天皇を3世紀中ごろの大王だとしてさらに遡ると歴史学的な証明は困難になる。大規模な埋葬文化の無い弥生時代末期になるため考古学的な考証に耐えうる陵墓も無くなる。日本書紀や古事記でも初代神武天皇から十代崇神天皇の間の八代については系譜しか記録がないため実在性が乏しい(欠史八代)。 それでも敢えて年代を想定してみると神武天皇から崇神天皇は十代に渡って親子間での皇位継承なので神武天皇即位は前1世紀ごろになる。ただし先代旧事本紀の地祇本紀、天孫本紀に書かれた豪族の系図からは神武天皇から崇神天皇までおよそ7~8世代ということが示唆されている。これを考慮に入れるならば神武天皇即位は1世紀ごろとなる。後漢の光武帝から倭奴国に金印(漢委奴国王印?)が授けられた頃である。 いずれにしても神武天皇は一世紀前後の人物ということになる。あくまでも実在すればということであり神話的色彩が強い神武天皇は伝説的人物とみなされるのが一般的である。なお日本書紀の年代では神武天皇即位は紀元前660年であり明治時代になって神武天皇即位紀元(皇紀)の元年とされた。戦時中の1940年(昭和15年)には紀元二千六百年記念行事が催され国威発揚に利用された。
※この「弥生時代末期」の解説は、「大和時代」の解説の一部です。
「弥生時代末期」を含む「大和時代」の記事については、「大和時代」の概要を参照ください。
- 弥生時代末期のページへのリンク