弥生期 - 飛鳥期とは? わかりやすく解説

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弥生期 - 飛鳥期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 17:35 UTC 版)

皇位継承」の記事における「弥生期 - 飛鳥期」の解説

日本では倭国呼ばれた古代から皇位継承王位継承に関する問題生じていた。『魏志倭人伝によれば弥生時代後期2世紀後半倭国王位の継承巡って倭国大乱起こり卑弥呼倭国王となることで争乱終息した。さらに卑弥呼没後、男王が立った再度争乱起こり卑弥呼の宗女台与王位について争乱収まった記録されている。 古墳時代5世紀にも、王位継承を巡る数々紛争の発生が、『日本書紀』記載から読み取れる6世紀前半には、武烈天皇崩御により一旦、大王系統断絶しているが、応神天皇5世の子とされる継体天皇大王位を継承した実際に5世の子孫だったかには賛否両論あるが、この事例天皇5世の子孫までは皇位継承権持ちうる先例となってその後皇統断絶の際に強く意識されることとなった古墳時代から飛鳥時代にかけて(6世紀中期 - 7世紀後期)も、大王継承紛争がたびたび生じたこの頃大王継承ルールには、兄弟承継大兄承継母后出自群臣推挙先帝遺詔(更に近年では即位要件年齢制限30歳以上)があったとする説もある)などがあり、これらが複雑にからんで大王継承が行われていたと推定されている。継体天皇の後に安閑天皇宣化天皇数年在位して欽明天皇即位しているが、欽明天皇による簒奪だったとする説もある。その後欽明天皇の子孫が大王継いでいるが、その経緯は複雑であり、多く紛争生じている。次期大王決定難航したときは、女性大王選ばれることもあり、推古天皇皇極天皇らが即位して、他に適当な男子大王承継者が現れるまで在位した女性天皇女帝選ばれ理由には諸説あり、律令制以前中継ぎ説を認めないなどの異説多く存在する)。 古代大王位の継承において、最大争いとなったのは、672年白鳳元年)の壬申の乱である。天智天皇直系大友皇子弘文天皇)を皇嗣定めたが、それを不服とする大海人皇子大規模な叛乱起こし大友皇子滅ぼして自ら大王となった天武天皇)。天武天皇は、自身以降皇位継承紛争防止するため、兄弟継承廃止し直系男子皇位継承するルール定めようと試みたらしく、草壁皇子皇太子立てた。だが、政権基盤が固まる前に天武天皇崩御してしまったために、天武天皇皇后草壁皇子大友皇子二の舞ならないように拙速皇位継承避けようとした。だが、その草壁皇子までが急逝してしまった為に皇后皇位継承紛争を防ぐために、自ら皇位に就き持統天皇)、草壁皇子の子である軽皇子(後の文武天皇)を皇太子とした。この系統一般的には天武天皇系の皇統みなされているが、天智天皇皇女であった持統天皇自分自身天智天皇直系意識していた可能性は高い(歴史上女性天皇配偶者男性皇族天皇含む)であったため問題視されることはなかったが、女性天皇の子孫も皇族として権利同等であったとみられ、長屋王吉備内親王皇子天武天皇曾孫から元正天皇の孫に待遇改められ事例がある(『続日本紀』霊亀元年2月25日条))。

※この「弥生期 - 飛鳥期」の解説は、「皇位継承」の解説の一部です。
「弥生期 - 飛鳥期」を含む「皇位継承」の記事については、「皇位継承」の概要を参照ください。

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