弥生時代早期初頭(従来の縄文時代晩期末)の水田跡、紀元前930年頃(放射性炭素14の較正年代)
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「菜畑遺跡」の記事における「弥生時代早期初頭(従来の縄文時代晩期末)の水田跡、紀元前930年頃(放射性炭素14の較正年代)」の解説
遺構は16層から成っており、水田の遺構が確認されたのは縄文時代晩期後半の12層からである。それより上層にも弥生時代中期までの水田遺構が検出された。水田遺構は18平方メートル余りで小さな4枚の田で、当時は直播きで栽培されたと推測されている。 花粉分析の結果、イネ属の花粉は夜臼式土器(柏崎式土器)以前から出現し、第12層の上部で突発的に増加する。このような突発的増加は人間が搬入したものと考えられる。一方、種子は第12層以下ではアリノトウグザ水湿性植物の種子が多く出た。 遺物の土器は、それまで最古の水田跡とされていた板付遺跡の夜臼式土器(柏崎式土器)よりも古い山の寺式土器であった。炭化米も250粒ほど出土し、そのうち100粒以上がジャポニカ種であることが分かっている。
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