弥生時代~古墳時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 11:15 UTC 版)
西条盆地は弥生時代にムラが爆発的に増加。西本遺跡群や東広島ニュータウン地内遺跡群など県内でも最大規模を誇る遺跡が多く存在する。西条町西東子遺跡からは弥生時代中期の大分県産の土器も出土しており、広く他地域との交流があったものと思われる。 5世紀には前方後円墳としては県内一の規模である「三ツ城古墳」が造成された。被葬者はこの地域を支配していた国造級の豪族だと考えられている。同古墳からは小型の鏡や鉄剣、人骨などが出土しており、昭和57年1982年に国の史跡に指定され、史跡公園として復元整備されている。また高屋町宮領の南にそびえる御山(白鳥山)の白鳥古墳より日本製と考えられる三角縁神獣鏡が出土している。これらの遺物は県内でほかに出土例がなく貴重である。いずれの鏡も、現在、三ッ城古墳横の中央図書館内のガイダンスコーナーに展示されている。
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弥生時代、古墳時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:21 UTC 版)
弥生時代の遺跡からは、中国の硬貨である秦から前漢にかけての半両銭や五銖銭が発見されている。弥生時代と古墳時代の遺跡で出土した中国の硬貨は、青銅器の原料となっていたほかに祭祀にも用いられていた。下関市武久町の海岸砂丘から出土した武久浜墳墓群の半両銭は副葬品であることが判明している。『魏志倭人伝』に記述がある一支国の首都とされる原の辻遺跡では前漢時代の五銖銭が出土しているが、副葬品には含まれていない。原の辻遺跡は港をもつ交易地であることから、青銅器の原料のほかに交易で貨幣として流通していたとする説もある。
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