弥生町出土の壺の特徴と集落および東海地方との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 00:55 UTC 版)
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弥生時代の名称の元になった弥生土器、つまり弥生町出土の壺は、口縁が欠けているほかは壺形を保っている。その壺の形は、イチジクの実の形に似ていて、胴の下半分が外側に張り出している。粘土を輪積みにして整形し、外面を丁寧に磨き上げ、焼成の具合で赤みがかった部分もある。壺の肩の辺りを太い縄目と細い縄目で装飾している。この縄文の上に小さな円形が三つを一組として頸部をめぐっている。弥生時代後期のものと考えられている。弥生町出土の壺は、東海地方東部、特に駿河湾付近の特徴を残している。このことから、東海地方東部の人が、この地に移り住み環濠集落を形成したと推測できる。
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