野方遺跡とは? わかりやすく解説

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野方遺跡

名称: 野方遺跡
ふりがな のかたいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 福岡県
市区町村 福岡市西区野方
管理団体
指定年月日 1975.06.27(昭和50.06.27)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S50-1-009野方遺跡.txt: 福岡県北部早良平野の西縁、叶岳の東麓形成され扇状地上に野方遺跡がある。
 昭和48年度に実施され発掘調査によって、濠をめぐらした集落とその北に基地がいとなまれ、その後集落周濠外に広がり、しだいに墓地域に及んでいく状況明らかになった。
 これまで検出され竪穴住居跡93棟、甕棺石棺等は15基で、未調査部分も含めるとおそらくそれに数倍する遺構予想される出土遺物土器がほとんどで、小量石器鉄器があり、基地からは鏡片や玉類が発見されている。
 これらの遺構と遺物状況から、この墓域をともなう集落は、弥生時代末期から古墳時代にかけての北九州社会推移を知るうえで貴重な資料提供するものといえよう。
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野方遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/13 14:29 UTC 版)

野方遺跡・野方遺跡住居跡展示館
野方遺跡
位置

野方遺跡(のかたいせき)は、福岡県福岡市西区野方にある弥生時代後期・古墳時代前期の複合遺跡である。1975年昭和50年)6月27日に国の史跡に指定されている。

概要

早良平野の西端、脊振山地北東部の叶岳東麓にある標高17 - 22メートル扇状地に位置する。伊都国の所在地と推定される現在の糸島市域と、奴国の所在地と推定される現在の春日市周辺との中間部に位置し、交通の要所であったと考えられている。

1973年(昭和48年)に野方台団地の造成中に高校生が発見し、同年8月から翌1974年(昭和49年)1月にかけて福岡市教育委員会による発掘調査が実施され、遺構の集中している遺跡中央部の21,130.63平方メートルが国の史跡に指定された。

遺構としては長径約100メートルの楕円形の大きな環濠、一辺約25メートルから30メートルの方形の小さな環濠、竪穴建物跡94棟、甕棺墓3基、土坑墓1基、木棺墓1基、箱式石棺墓10基などが検出されている。弥生時代には上記の大小各1か所の環濠から成る環濠集落が形成され、大きな環濠の内側には約10棟の竪穴建物が建てられ、小さな環濠の内側には高床建物が建てられていたと推定される。環濠からは土器石器鉄器・貝・魚骨・獣骨などが出土している。古墳時代には弥生時代の環濠は埋められ、建物と墓地を分けた集落が形成され、約100棟の竪穴建物が建てられていたと推定される。古墳時代の墓地の箱式石棺墓・木棺墓から副葬品として中国製の獣帯鏡・内行花文鏡や鉄刀・管玉・ガラス玉などが出土している。

野方中央公園・野方遺跡住居跡展示館

発掘調査終了後、遺跡は1989年(平成元年)から整備されて公園となり、1991年(平成3年)に野方中央公園として開園した[1](所在地:福岡県福岡市西区野方5丁目11番地)。公園では環濠跡が復元されているほか、公園の一角には野方遺跡住居跡展示館が建設され、発掘された建物跡や出土品の一部が展示されている。

このほか公園内には当初2棟の竪穴建物が復元されたが、これらは1994年(平成6年)5月に不審火で焼失し撤去された。

交通

出典

  1. ^ 後藤光秀『福岡歴史百景』葦書房、1994年6月1日、157頁。ISBN 978-4751205662 

参考文献

  • 『図説日本の史跡 第1巻 原始1』、同朋舎、1991、p211

外部リンク

座標: 北緯33度33分19秒 東経130度18分22秒 / 北緯33.5554022度 東経130.3059919度 / 33.5554022; 130.3059919



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