渋江長伯とは? わかりやすく解説

渋江長伯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 01:07 UTC 版)

太田元達惟長」の記事における「渋江長伯」の解説

出自 渋江長伯(しぶえちょうはく)は、太田玄達惟長の四男として宝暦10年(1760)生まれる。安永7年(1778)渋江陳胤(よしたね)の養子となり、同8年4月8日家督相続寄合医師30010扶持。 長伯は安永8年(1779)8月10代将軍徳川家治拝謁寛政4年(1792)2月2日昌平校入門寛政5年12月20日奥詰医師。(中略)。天保元年(1830)4月19日没。享年71歳墓所新宿区河田町月桂寺業績 1. 江戸幕府薬園管理 寛政7年(1795)頃以降 2. 蝦夷(えぞ)地への動植物採集寛政11年(1799) 3. フランス人ショメールの百科事典蘭語版の購入和訳(厚生新編)を進言し、実行されるまた、ガラス製法試し硝子器を作る。 4. 甲州駿河伊豆相模への採取行 文6年(1809) 5. 綿羊飼育と毛織物製造幕府進言文化14年(1817)頃清国から輸入した綿羊巣鴨薬園で飼育、繁殖させる。 6. 腊葉標本作成 寛政11年(1799)に採集した蝦夷地植物の腊葉帖「北遊草木帖」から文化9年(1812)に作成された「壬申花帖」まで、日本人作成した腊葉標本として最も古い時期属するものが多数残っている。

※この「渋江長伯」の解説は、「太田元達惟長」の解説の一部です。
「渋江長伯」を含む「太田元達惟長」の記事については、「太田元達惟長」の概要を参照ください。

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