近世の猿橋とは? わかりやすく解説

近世の猿橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:19 UTC 版)

猿橋」の記事における「近世の猿橋」の解説

1676年延宝4年以降架け替え記録残り少なくとも1756年宝暦6年)からは類似した形式刎橋である。 この様構造猿橋限られなかったが、江戸時代には猿橋が最も有名で、日本三奇橋一つとされた。甲州街道沿いの要地宿場)にあるため往来多く荻生徂徠峡中紀行』、渋江長伯『官遊紀勝』など多く文人訪れ紀行文詩句作成している。文化14年1817年)には浮世絵師葛飾北斎が『北斎漫画 七編 甲斐猿橋』において猿橋描いている。 江戸後期天保12年1841年)には、浮世絵師歌川広重甲府町人から甲府道祖神祭礼の幕絵製作を依頼され甲斐訪れている。広重甲州街道経由して甲府訪れ、後に旅の記録を『甲州日記』としてまとめ、甲斐名所スケッチし作品にも活かしている。小島烏水によれば現存しない日記一部には猿橋遠景や崖などがスケッチされていたという。広重天保13年1842年)頃に版元吉蔵から刊行され大型錦絵「甲陽猿橋図」を手がけている。

※この「近世の猿橋」の解説は、「猿橋」の解説の一部です。
「近世の猿橋」を含む「猿橋」の記事については、「猿橋」の概要を参照ください。

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