近世の瓦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:06 UTC 版)
近世初頭においても瓦は権威付けとして用いられ、江戸では大名でも使用が制限されてきた。しかし、1657年の明暦の大火後に幕府は「瓦葺屋根は国持大名でも控えるべし。ただし土蔵は許す」(『享保集成』)としたのを先鞭に防火対策として瓦屋根の使用を許すようになる。また一部の大名が軒丸瓦の瓦当に家紋を使用するようになる。家紋瓦を使う大名は限られており使用するには幕府の許可が必要であったと考えられているが、江戸時代後期には旗本や公家も使うようになる。 この頃、瓦の材質や製法が多様化する。燻し瓦は窯焼きの後工程で酸素を遮断し炭素を吸着させる瓦で城郭や寺院で用いられた。寒冷地では凍害対策として釉薬瓦が用いられ、鉄分の多い釉薬をかけた越前瓦や赤瓦が有名である。塩焼瓦は西三河で生まれたとされ、窯焼き中に塩を入れる事で瓦の表面に膜を作る瓦で色が赤褐色になる。これらはいわゆる地瓦の発生で、現代でも生産が続けられているものもある。またこの時期に生まれた瓦として輪違瓦、菊丸瓦、海鼠瓦などがある。 素材としては瓦状の木材に銅板や鉛板を巻いた金属瓦、石材を瓦状に加工した石瓦が現れる。銅瓦は駿府城、江戸城、日光東照宮など徳川家、鉛瓦は金沢城、瑞龍寺など前田家で用いられることが多く、石瓦は笏谷石を用いた丸岡城が著名である。
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