近世の猪鹿倉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 05:57 UTC 版)
江戸期には薩摩国日置郡伊集院郷(外城)のうちであり、村高は天明8年の「由緒再撰調」では278石余、「天保郷帳」では363石余、「旧高旧領取調帳」では291石余であった。 長松川が神之川に合流する付近に真言宗小野派三宝院の流れをくむ大勝山荘厳寺があり、一時期は三州密門三本山のうちの1つとして栄えたが、島津貴久が九世俊法印を開山として弘治2年に大乗院を鹿児島に建て小野派の本山としたため、以後その末寺となり廃れた。幕末の寺高は43石であった。
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