がい‐じょう〔グワイジヤウ〕【外城】
そと‐じろ【外城】
と‐じょう〔‐ジヤウ〕【▽外城】
外城制
(外城 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/17 15:23 UTC 版)
外城制(とじょうせい)とは薩摩藩(鹿児島藩)が行った地方支配の制度[注 1][注 2][注 3]。1784年(天明4年)、この呼称を郷と改めた[注 4]。
注釈
- ^ 薩摩藩による琉球王国支配体系はこれと異なる。
- ^ 支藩である日向国宮崎郡佐土原藩の外城制は、農山漁村主要部や交通の要衝に設置された仮屋を中心としていた。
- ^ 隣藩の人吉藩でも同様の制度が導入されていた。詳細は「人吉藩の略史」参照。
- ^ 郷の表記は「○○郷」でほぼ統一されているが、外城の表記は文献により様々である。「○○外城」の例(『肝付町の文化財』2007年)もあれば「外城○○」(『宮崎県史 通史編 近世 下』2000年)の例もある。
- ^ この時期の全国平均が約5%。
- ^ 島津氏の居城は1602(慶長7)年に鶴丸城へ移転。
- ^ 敵対した一族や土豪を討滅・追放した後の土地に設置された地頭と呼称される軍事・行政を担当する代官のことをいい、中世荘園における地頭とは異なる。
- ^ 地頭を配置した城塞に集住した武士身分戦闘員。
- ^ 現在でも出水麓や知覧麓の様に武家屋敷の面影を残している所もある。
- ^ 安永9年以降は郷士。
- ^ 薩摩藩家臣を参照。
- ^ 要衝地の長島・甑島は地頭の赴任が継続して行われ、藩境の外城には地頭代を設置したり、中抑という役職を設置した外城も存在した。
- ^ 後に郷士年寄と改称。
- ^ 薩摩藩領では鹿児島・都城を除き、全て村として発足。
- ^ 大規模な郷は当時の村としては面積広大・人口多(平成の大合併前の「町」にほぼ相当)であり、加世田・伊集院・市来・出水・国分・串良など分割された例がある。
- ^ 宮崎県では郷内の飛地を解消するように編成された。
- ^ 主に一か村で構成されていた郷(黒木・藺牟田・新城など)や人口僅少な郷(大村・高隈など)、および市部に至近な郷(永利など)。鹿児島県の基準は総人口12,000人以下の自治体が対象。
- ^ 例として薩摩郡では入来・樋脇。
- ^ 町村制実施時(1889年)に鹿籠郷の範囲をもって東南方村が発足した後、1923年に町制施行し枕崎町と改称。市制施行は1949年。
- ^ 町村制実施時(1889年)に長島郷を東西に分割(西長島村→長島町・東長島村→東町)した後、2006年に合併。
- ^ 薩摩藩最大の私領として、領内は五口六外城に区画されていた。
出典
- ^ a b 坊津町郷土誌編纂委員会 1969, p. 291.
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