今和泉島津家とは? わかりやすく解説

今和泉島津家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/08 05:06 UTC 版)

今和泉島津家
本姓 惟宗氏島津氏庶流
家祖 島津忠卿
種別 武家
士族
華族男爵
主な根拠地 薩摩国今和泉
鹿児島県鹿児島市郡元町
凡例 / Category:日本の氏族

今和泉島津家(いまいずみしまづけ)は、島津氏支流である武家士族華族だった家。室町時代に断絶した和泉氏の名跡を継ぐ形で、江戸時代に今和泉郷を領する薩摩藩一門家として再興し、今和泉島津家と称され、維新後には士族を経て華族の男爵家に列せられた[1]

歴史

江戸時代延享元年(1744年)に薩摩藩4代藩主・島津吉貴の七男・忠卿が、室町時代応永年間の戦争で戦死して断絶した和泉氏の5代当主・直久の名跡を継承・再興し、薩摩藩の一門家として薩摩国揖宿郡今和泉郷を領したことで今和泉島津家が成立した[2][3]。家禄は1万5000石だった[3]。今和泉領主・島津忠剛の長女である天璋院は13代将軍・徳川家定御台所となっている[2]

幕末維新期の当主は島津忠敬明治維新後には当初士族に列した[4]

明治17年(1884年)に華族が五爵制になった際に定められた『叙爵内規』の前の案である『爵位発行順序』所収の『華族令』案の内規(明治11年・12年ごろ作成)や『授爵規則』(明治12年以降16年ごろ作成)では旧万石以上陪臣が男爵に含まれており、今和泉島津家も男爵候補に挙げられているが、最終的な『叙爵内規』では旧万石以上陪臣は授爵対象外となったためこの時点では今和泉島津家は士族のままだった[4]

明治15年・16年ごろ作成と思われる『三条家文書』所収『旧藩壱万石以上家臣家産・職業・貧富取調書』は、島津忠敬について旧禄高を1万5400石、所有財産は田畑3039、貸付金利歳入2万5000円、合歳入金3928円60銭7厘、職業は無職、貧富景況は可と記している[4]

忠敬の後は忠欽が継いだが、忠欽は玉里島津家島津忠済公爵の戸籍に復籍したため、忠欽の次男・隼彦が家督相続した[5]。明治33年(1900年)5月9日に旧万石以上陪臣家、かつ華族の体面を維持できる財産(年間500円以上の収入を生じる財本)を有する25家が男爵に叙された際に隼彦も男爵に列せられた[6]

その息子・忠親の代に今和泉島津男爵家の住居は鹿児島県鹿児島市郡元町にあった[7]

歴代当主

  1. 島津忠郷...父:島津吉貴島津本宗家
         子:島津忠温(2代、養子、島津本宗家吉貴の子)
  2. 島津忠温...父:島津忠郷(養父)
           島津吉貴(実父、島津本宗家
         子:島津忠厚(3代、養子、島津本宗家重豪の子)
  3. 島津忠厚...父:島津忠温(養父)
           島津重豪(実父、島津本宗家
         子:島津久徳加治木島津家
           島津忠喬(4代)
           島津久名(島津蔵人家祖)
           大野久甫(大野氏本家)
  4. 島津忠喬...父:島津忠厚
         子:島津忠剛(5代、養子、島津本宗家斉宣の子)
  5. 島津忠剛...父:島津忠喬(養父)
           島津斉宣(実父、島津本宗家
         子:島津忠冬(6代)
           島津久敬永吉島津家
           島津忠敬(7代)
  6. 島津忠冬...父:島津忠剛
  7. 島津忠敬...父:島津忠剛
         子:島津忠欽(8代、養子、重富島津家忠教の子)
  8. 島津忠欽...父:島津忠敬(養父)
           島津忠教(実父、重富島津家
  9. 島津隼彦...父:島津忠敬 
  10. 島津忠親...父:島津隼彦

脚注

出典

  1. ^ 森岡浩 2012, p. 254-255.
  2. ^ a b 指宿市考古博物館. “今和泉島津家と天璋院篤姫関連文化財”. 指宿市考古博物館 時遊館COCCOはしむれ. 2023年1月20日閲覧。
  3. ^ a b 森岡浩 2012, p. 255.
  4. ^ a b c 松田敬之 2015, p. 372.
  5. ^ 松田敬之 2015, p. 364.
  6. ^ 松田敬之 2015, p. 342/364.
  7. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 682.

参考文献


今和泉島津家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 20:54 UTC 版)

鹿児島島津家墓所」の記事における「今和泉島津家」の解説

今和泉島津家は延享元年1744年)、島津氏22島津継豊の弟忠郷を初代とし、断絶した和泉家復興するという形で始まった墓所指宿市光台寺跡にある。

※この「今和泉島津家」の解説は、「鹿児島島津家墓所」の解説の一部です。
「今和泉島津家」を含む「鹿児島島津家墓所」の記事については、「鹿児島島津家墓所」の概要を参照ください。

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