岩本の成立と近世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/28 05:44 UTC 版)
「岩本 (指宿市)」の記事における「岩本の成立と近世」の解説
岩本という地名は江戸期より見え、薩摩国揖宿郡指宿郷(外城)のうちの岩本村であった。岩本は岩元とも表記された。 延享元年に島津忠卿が応永24年に川辺城の戦いで和泉家当主であった直久が戦死して以降、断絶していた和泉家を継ぎ、今和泉島津家と称し、その際に指宿郷及び頴娃郷の一部から今和泉家の私領として今和泉郷が編成され、それまで指宿郷に属していた岩本村は揖宿郡今和泉郷のうちとなり、岩本村内には今和泉郷の地頭仮屋が置かれ、地頭仮屋付近には麓及び野町が形成された。 今和泉郷のうちの岩本村としての村高は「三州御治世要覧」では499石余、「天保郷帳」では472石余、「旧高旧領取調帳」では287石余と記載されている。
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