岩本ダム計画とは? わかりやすく解説

岩本ダム計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:31 UTC 版)

沼田ダム計画」の記事における「岩本ダム計画」の解説

沼田ダム1952年昭和27年)に第3次吉田内閣によって閣議決定され、建設省関東地方建設局による正式な事業となったダム地点選ばれたのは、利根川が狭い峡谷形成する綾戸渓谷付近群馬県渋川市赤城町棚下地先であり、JR上越線トンネル西側付近であった計画当初は「岩本ダム」という名称であったがこれは直上流の沼田市岩本地先因んでいる。 建設省は「利根川改訂改修計画」を行うに当たって伊勢崎市八斗島地点カスリーン台風時の洪水に耐えられる治水計画立てたこの中で先述ダム計画策定されたが、その組み合わせどのようにするかで検討重ねられた。「岩本ダム単独洪水調節を行う「A案」、藤原相俣・薗原・八ッ場坂原の五ダム洪水調節を行う「B案」、そして六ダム全て洪水調節を行う「C案」の三案が最終的に候補として挙った。 この中で岩本ダム」は「B案」を除いて利根川洪水調節中核として考えられていたが、「A案」か「C案」では規模異なっていた。「A案」の場合だと堤高83 m 、総貯水容量 2億980 m3 となり、「C案」を選択する堤高75 m 、総貯水容量1億2,000 m3 なって両案で規模大きな差ができる。これは「岩本ダム」だけで利根川上流部洪水一括して調節するか、「岩本ダム」と各河川ダム組み合わせて洪水調節をするかの違いであった最終的には「C案」とする方向調整され規模後者計画されることとなった。 こうして大貯水池擁するダムとなったが、「岩本ダム計画」では他のダム異な洪水調節方法採用した。それは普段貯水をせず、洪水時にのみ水門閉じて洪水貯水する洪水調節方式である。現在益田川ダム益田川)などで採用されている「穴あきダム方式であり、田中康夫長野県知事が「脱ダム宣言時に代替案として提唱した河道遊水地」と同様の方式であった。この計画以って1953年昭和28年8月正式な事業として建設省より発表されたが、後述する反対運動利根川治水計画変遷することなどにより、ダム計画は一旦足踏み状態となった

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