岩本ダム計画
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沼田ダムは1952年(昭和27年)に第3次吉田内閣によって閣議決定され、建設省関東地方建設局による正式な事業となった。ダム地点に選ばれたのは、利根川が狭い峡谷を形成する綾戸渓谷付近、群馬県渋川市赤城町棚下地先であり、JR上越線・棚下トンネルの西側付近であった。計画当初は「岩本ダム」という名称であったがこれは直上流の沼田市岩本地先に因んでいる。 建設省は「利根川改訂改修計画」を行うに当たって、伊勢崎市八斗島地点でカスリーン台風時の洪水に耐えられる治水計画を立てた。この中で先述のダム計画が策定されたが、その組み合わせをどのようにするかで検討が重ねられた。「岩本ダム」単独で洪水調節を行う「A案」、藤原・相俣・薗原・八ッ場・坂原の五ダムで洪水調節を行う「B案」、そして六ダム全てで洪水調節を行う「C案」の三案が最終的に候補として挙った。 この中で「岩本ダム」は「B案」を除いて利根川洪水調節の中核として考えられていたが、「A案」か「C案」では規模が異なっていた。「A案」の場合だと堤高は 83 m 、総貯水容量 2億980万 m3 となり、「C案」を選択すると堤高は 75 m 、総貯水容量は 1億2,000万 m3 なって両案で規模に大きな差ができる。これは「岩本ダム」だけで利根川上流部の洪水を一括して調節するか、「岩本ダム」と各河川のダムを組み合わせて洪水調節をするかの違いであった。最終的には「C案」とする方向で調整され、規模も後者で計画されることとなった。 こうして大貯水池を擁するダムとなったが、「岩本ダム計画」では他のダムと異なる洪水調節方法を採用した。それは普段は貯水をせず、洪水時にのみ水門を閉じて洪水を貯水する洪水調節方式である。現在益田川ダム(益田川)などで採用されている「穴あきダム」方式であり、田中康夫前長野県知事が「脱ダム宣言」時に代替案として提唱した「河道内遊水地」と同様の方式であった。この計画を以って1953年(昭和28年)8月に正式な事業として建設省より発表されたが、後述する反対運動や利根川の治水計画が変遷することなどにより、ダム計画は一旦足踏み状態となった。
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