長野県知事一覧
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長野県知事一覧(ながのけんちじいちらん)は、歴代長野県の知事の一覧である。
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長野県知事
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「反田中」の組織・団体では県知事選挙の告示直前まで候補者選びで迷走を続けていた。特に田中を排除したい自民党にとっては選挙に勝利することが最重要課題であった為、一時は民主党との共闘を視野に入れるなど手段を選ばない候補者選定となったが、長野県内のみならず全国的に知名度の高い田中を前にして、次々と打診した意中の人物に断られる中、2005年の郵政造反で国政から引退せざるをえなくなった村井に白羽の矢が立ち県知事選挙に立候補。結果「反田中」の得票を集め、長野県知事選挙では史上初めて現職を破って初当選した。 長野県知事に当選後は、田中県政の象徴的存在である県庁舎1階「ガラス張り知事室」には入らず、県の中枢組織「経営戦略局」廃止などを次々打ち出す一方、“個々の河川の整備状況を見ながら考える”と早急なダム建設回帰には慎重な姿勢を表明した。だが一方で、田中の「脱ダム宣言」については事実上の撤回を行った。そして長野オリンピック招致での会計帳簿が焼却処分され紛失していた件で、田中県政時代に設置していた調査委員会について、村井は「今になり特定の個人や団体の罪をあえて暴こうとする作業は建設的なことではない」として調査を打ち切った。村井自身は田中の県政運営を強く批判しており、知事就任後の県議会では「県政の後戻りってのが何を意味するのか、逆に私良く分からない」と発言し、2007年、県庁の仕事始め式では、挨拶の中で「透明度のある決定過程があったと思う方もいるが、決定過程も実は独裁に過ぎなかった」と新年早々に田中を批判するなどしている。 後述の政治資金問題などもあり再選は目指さず、任期満了により2010年8月31日に退任した。
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