高木惟矩とは? わかりやすく解説

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高木惟矩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 06:04 UTC 版)

高木 惟矩(たかぎ これのり、1838年天保9年[1]) - 1886年明治19年)7月3日[1][注 1])は、幕末福井藩士明治時代の官吏筑摩県参事。通称は庄次郎[1][2]

経歴

福井藩士、高木庄右衛門延清の子[2]1857年(安政4年2月)明道館の外塾助となり、1859年(安政6年2月)同館役輩、1861年(文久元年11月)製造方見習、同年12月、製造方を経て、1864年(元治元年4月)大番組として京都堺町御門警衛詰となる[2]戊辰戦争に従軍[1]

維新後は、1869年(明治2年10月)高山県大参事[1]、筑摩県権参事を経て、1874年(明治7年)3月、筑摩県参事に就任[3][4]1876年(明治9年)8月まで務めた[3][4]

1879年(明治12年)宮城県黒川加美郡長に任じ、1880年(明治13年)新潟県勧業課長となった[1]。1886年(明治19年)7月3日、東京で病没した[1]。墓所は新潟市日和山墓地にある。

家族

栄典

位階

脚注

注釈

  1. ^ 『越前人物志 上』696頁では明治19年1月3日没。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 大植 1935, 223頁.
  2. ^ a b c 福田 1910, 693頁.
  3. ^ a b 保科 1882, 157頁.
  4. ^ a b 赤羽ほか 1989, 806頁.

参考文献




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