本間利雄 (内務官僚)とは? わかりやすく解説

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本間利雄 (内務官僚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/16 00:20 UTC 版)

本間利雄

本間 利雄(ほんま としお、1877年明治10年)3月3日[1] - 1970年昭和45年)2月2日[2])は、日本の内務警察官僚実業家。官選県知事

経歴

山形県出身。酒田本間家の一族、本間東三郎の長男として生まれる[1]東京外国語学校を経て第一高等学校を卒業。1908年東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業し大学院に進んだ[3]。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し富山県属となる[1][4]

以後、富山県事務官、同理事官島根県警察部長、愛媛県警察部長、広島県警察部長、警視庁官房主事、同高等警察課長、兵庫県内務部長などを歴任[1]

1922年10月、長野県知事に就任。ブラジル移民の推進、郡制廃止への対応、中等学校の整備、道路網の改良などを推進[1]1924年(大正13年)6月24日、山梨県知事に転じ、地方病撲滅十カ年計画の策定、山梨地方病撲滅期成組合の結成などに尽力[5]1925年4月28日に知事を辞任し退官した[1][4]

その後は実業界に転じ、東京電燈常務取締役[3]王子電気軌道社長、富士川電力取締役、京浜電力取締役、理研アルマイト工業取締役、高岳製作所社長[6]関東配電監事などを務めた[5][6]

人物

1911年分家する[3][7]。趣味は、旅行[6]、大弓[7]。宗教は仏教[6][7]。住所は東京目黒区三田[6][7]

家族・親族

本間家
親戚

脚注

  1. ^ a b c d e f 『新編日本の歴代知事』524頁。
  2. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』1116頁。
  3. ^ a b c 『帝国大学出身名鑑』ホ34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年5月2日閲覧。
  4. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』191頁。
  5. ^ a b 『新編日本の歴代知事』502頁。
  6. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第14版 下』ホ52頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年5月2日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 下』ホ54頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年5月2日閲覧。

参考文献

  • 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 佐藤朝泰著『閨閥 -日本のニューエスタブリッシュメント-』立風書房、1981年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1(政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。



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