幻の初代公選長野県知事選出馬とは? わかりやすく解説

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幻の初代公選長野県知事選出馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 04:05 UTC 版)

小林次郎」の記事における「幻の初代公選長野県知事選出馬」の解説

参議院開設準備委員長在任中の1947年4月5日実施され初回公選長野県知事選挙では、保守陣営小林次郎擁立する動きがあった。保守系有力者軒並み公職追放出馬不能のため、自由・進歩党両党では自由党現職物部薫郎岡山県出身)を推したが、進歩党は「初代民選知事長野県人」という意向から小林第一候補とし第二候補物部とした。当時小林支持したものは「北信の某財閥実業家枢密顧問官小坂順造)と、是れに関連する一群人々」で、その背後には植原悦二郎内相があるといわれ、郡山義夫知事木内四郎などが頻繁に来県していたという。1947年2月18日両党県会議員による通称「やぶ会談」で両論ぶつかり結局物部案に一致したが、小林推す小坂は、物部退却させる選挙戦術や中央での政治工作枢密顧問官伊沢多喜男求めた。しかし伊沢小林知事選には静観の構えで、それどころ会合主催者一人として自身の名前が使われたことを知って激怒し小坂行き違い詫びた。これも一因となって結局小林出馬見送られた。 この第1回長野県知事公選結局保守陣営物部民主陣営社会党林虎雄一騎打ちとなり当選したによると当初小林社会党応援得て出馬考え直接支援要請したが、社会党への入党条件として提示したことに小林難色示し調整不調に終わったという。なお1951年第2回長野県知事選挙でも再選目指す対抗する保守陣営候補として小林の名が出た擁立実現しなかった。

※この「幻の初代公選長野県知事選出馬」の解説は、「小林次郎」の解説の一部です。
「幻の初代公選長野県知事選出馬」を含む「小林次郎」の記事については、「小林次郎」の概要を参照ください。

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