幻の作品
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「ソード・ワールドRPGシアター」の記事における「幻の作品」の解説
『野獣、故郷に帰る』(収録予定、原案:大竹雅樹) 舞台はベルダイン。『ソード・ワールドRPGアドベンチャー』の外伝的エピソードであり、『ソード・ワールドRPGリプレイ第2部』の最終決着編でもある。本企画の第0回として掲載されたが、アドベンチャー、シアターいずれの単行本にも収録されなかった。掲載された号の『ドラゴンマガジン』(1996年7、8、9月号)も年月の経過により入手困難となっていたが、JGC2006の「ソードワールドトークショー」において「(出版されなかったのは)リクエストが少なかったため」と山本が暴露、『サーラの冒険』に作者・読者とも集中していたため日が当たらなかった事実が判明した。のち2006年9月以降、出版の時機を逸した、将来的に何らかの形で収録するとの発言がグループSNE公式サイトでなされたが、2017年現在未だ予定に上るには至っていない。
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幻の作品
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「SimsVille」というシムシリーズが開発されていた。これはシムピープルとシムシティの要素を取り入れた街(村)開発を行うシミュレーションゲームであったが「TheSimsとSimCITY双方の、今後予定されている拡張データセットの開発で同様のものが実現できるので制作の意味を失った(2001年公式アナウンス)」という理由から開発が中止された。[要出典]
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幻の作品
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「ジェームズ・キャメロン」の記事における「幻の作品」の解説
1991年、『ターミネーター2』の次回作として、ダニエル・キイスのノンフィクション『24人のビリー・ミリガン』を原作としたジョン・キューザック主演「The Crouded Room」を低予算のアート系映画として企画するが、大作を目指すプロデューサーのサンドラ・アーカラと衝突し自ら降板する。
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幻の作品
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宮崎駿が関与・企画・構想するも諸般の事情で幻に終わった、もしくは実現していない作品のリスト。なお、いくつかのタイトルは便宜上付けられた仮題である。 サイン・コサイン・シータ 大学時代の子供向け人形劇用の脚本。舞台は精神病院、少年アルファ何号と、少女シータ何号による物語。上演は実現しなかった。 長くつ下のピッピ 1971年頃、アストリッド・リンドグレーン原作の児童文学作品。企画した東京ムービー社長の藤岡豊自らスウェーデンに赴いて原作者から映画化の承諾を得ようとしたが、面会できずに頓挫する。このとき、宮崎はロケハンの目的で藤岡に同行し、現地で見た風景や家屋をもとに帰国後にイメージボードを描いている。そのイメージは後に『パンダコパンダ』や『魔女の宅急便』で活かされているほか、『アルプスの少女ハイジ』のオープニングに登場するブランコは、本作で用意した設定の流用である。残った制作資料は、子息である宮崎吾朗が『山賊のむすめローニャ』をアニメ化した際に原作者(の著作権継承者)サイドの許諾が下りて、『幻の「長くつ下のピッピ」』(岩波書店、2014年10月、高畑勲・小田部羊一共著)として刊行され、宮崎によるイメージとストーリーボードおよびインタビューが掲載されている。また、鈴木敏夫によると、スタジオジブリ設立後も宮崎と何度もアニメ映画化について相談したが結局実現せず、リンドグレーンの没後に著作権継承者からジブリにオファーがあったときには宮崎は「遅すぎる」「時機を逸してしまった」と述べたという。 頭の上のチッカとボッカ Aプロダクション在籍中の1973年頃に楠部三吉郎とともに企画したテレビアニメ。コロポックルを主人公とし、彼らが人間のものを「狩猟」と称して勝手に持ち出すストーリーで、キャラクターもデザインした。毎日放送に楠部が持ち込んで好感を得るも、宮崎が当時は無名だった点に難色を示され、楠部が藤子・F・不二雄(当時は藤子不二雄名)を原作にするという修正案を出したことで『ジャングル黒べえ』として実現し、宮崎の作ったキャラクター等は使用されなかった。 ユキの太陽 ちばてつやの漫画。パイロットフィルムのみ製作された(2013年12月から全国のイオンシネマで期間限定で上映)。 もののけ姫 1980年頃、『美女と野獣』&戦国時代をモチーフとしているが、1997年に映画化された『もののけ姫』とは題名が共通なだけで、物語もデザインも全く異なる作品である。イメージボードは1993年にスタジオジブリ(後に徳間書店)から大型絵本として出版されている。 ルパンの娘 1981年頃、アニメ評論家の岡田英美子との対談で語ったもの。主人公であるルパン三世の娘が、頭の弱い不二子の姪とコンビを組む学園物。 ロルフ 1981年頃、リチャード・コーベン原作のアングラコミック。イメージボードが作成されている。舞台設定やデザインは『風の谷のナウシカ』の原型とも言える作品。手塚治虫との合作の予定だった。 戦国魔城 1981年頃、日本の戦国時代を舞台にしたSFオリジナル作品。イメージボードが作成されている。ここで『ナウシカ』や『ラピュタ』へ繋がる設定が多く生み出された。 NEMO 1981-1982年、ウィンザー・マッケイ原作の『リトル・ニモ』の企画にテレコム・アニメーションフィルムのスタッフとして当初から関わって大量のイメージボードを作成していたが、制作発表前に降板して退社。フリーになっている。映画自体は1989年に公開されている。 風の谷の一日 1983年頃、ナウシカの幼年時代を、風の谷の日常を通して描くというもの。徳間書店の「アニメグランプリ」イベント用に宮崎が提案した。 アンカー 1980年代半ば、夢枕獏との対談で宮崎が提案した。『ラピュタ』完成後、原作夢枕、脚本宮崎、監督押井守、プロデューサー高畑勲で検討されるが、企画段階で中止される。宮崎の構想によると舞台は当時の東京、お姫様のような不思議な女の子が何者かに追われて、偶然に出会った男の子がその子を逃がすためにある場所まで送り届けると、また違う人間が別の場所まで送り届けるという恋愛要素を含んだ冒険ものであるという。しかし、美少女を出そうとする宮崎と、鼻垂れ小僧のような汚い少女を出そうとする押井の間で企画は消滅した。 突撃!アイアンポーク 1985年頃、「宮崎駿の雑想ノート」から派生したOVA作品の企画で、これも監督に押井守が予定されていた。 大東京物語 ふくやまけいこの漫画。後に現代には合わないと判断している。 墨攻 古代中国が舞台の酒見賢一原作の歴史小説。構想では、敵に包囲された都市を1人の墨者が防衛するというもの。押井守の監督で検討されたが宮崎と話が食い違い、消滅する。 東京汚穢合戦 宮崎が1997年、NHK番組『トップランナー』に出演した時に語ったもの。 ゴチャガチャ通りのリナ 柏葉幸子原作の児童文学『霧のむこうのふしぎな町』 煙突描きのリン 架空の震災後の東京を舞台に、大阪からやってきたリンが風呂屋に住み込み、煙突に絵を描くという話。三鷹の森ジブリ美術館でそのプロットが見られる。かなり具体的に構想され、約1年間の検討の末にボツとなった。この物語のために作られた木村弓の『いつも何度でも』が、後に『千と千尋の神隠し』の主題歌となり、主人公の「リン」の名は同映画の登場人物に再使用されている。 毛虫のボロ 長年宮崎が温めてきた「虫の視点から世界を描く」という企画。長編化困難として『もののけ姫』の前に一旦ボツになったが、ジブリ美術館用の短編として完成した。 旅のラゴス 筒井康隆原作のSFファンタジー小説 ジョナサンと宇宙クジラ ロバート・F・ヤングのSF小説 名探偵芥川龍之介対夏目漱石 明治の文豪が出てくる探偵モノ。 ポルコ・ロッソ 最後の出撃 紅の豚の続編 宮崎駿版ゲド戦記 宮崎は本作の古くからのファンであり、1980〜90年代に出版社および原作者に対し、二度映画化の打診を行い断られている。その後2000年代に入り宮崎の映画が原作者にも知られることとなり、「もし「ゲド戦記」を映像化するとしたら、OKを出せるのはあの人だけ」と言わしめるが、当の宮崎は既に本作に対する当時の情熱を失っており、紆余曲折の末宮崎の息子の吾朗により映画化された。 鉄砲侍 #長編監督引退後を参照。
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