幻の信任投票
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:34 UTC 版)
西本は、大毎監督だった1960年にも似たような事件を起こしている。 当時の大毎には前監督の別当薫を慕う「別当派」と呼ばれる選手がおり、九州でのオープン戦では球場に来ないなどして西本に反抗していた。西本はチーム分裂を憂い、後日のミーティングで「監督として俺を信任するかしないか、投票を行ってくれ」と言い残して部屋を去った。 それから選手だけによる話し合いが行われたが、山内一弘の「俺は野球さえやれればそれでいい。だから監督が別当さんだろうが西本さんだろうがかまわない」という言葉に榎本喜八が同調したことから、事態は収拾。結局、信任投票は行われなかった。 西本はリーグ優勝によって選手の信頼を勝ち得ることができ、監督を辞任する時には選手たちから時計を贈られたという。
※この「幻の信任投票」の解説は、「西本幸雄」の解説の一部です。
「幻の信任投票」を含む「西本幸雄」の記事については、「西本幸雄」の概要を参照ください。
- 幻の信任投票のページへのリンク