幻の国境画定交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 06:53 UTC 版)
リコルドは、イルクーツク県知事から国境画定と国交樹立の命令を受けていたが、日本側の姿勢を判断するに交渉は容易ではなく、箱館での越冬を余儀なくされ、レザノフの二の舞になる懸念があることから、ゴローニンと相談し日本側への打診を中止した。ただし、箱館を去る際、日本側の役人に、国境画定と国交樹立を希望し、翌年6-7月に択捉島で交渉したい旨の文書を手渡した。 幕府は国交樹立は拒否し、国境画定に関してのみ交渉に応ずることとした。そして、択捉島までを日本領、シモシリ島(新知島)までをロシア領として、得撫島を含む中間の島は中立地帯として住居を建てないとする案を立て、1814年春、高橋重賢を択捉島に送った。しかし、高橋が6月8日に到着した時には、ロシア船は去った後であった。このため国境画定は幕末のプチャーチン来航まで持ち越されることとなった。
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