幻の大井川迂回線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/15 17:09 UTC 版)
1944年、米軍による空襲の激化により東海道本線も頻繁に被害を受けるようになり、早急な対策を講じる必要があった。そこで大井川鉄橋も対象となり迂回路の建設を決定した。迂回路は大井川鉄道の新金谷駅の北から東に支線をのばして大井川に木橋を架橋し、対岸の向谷から島田駅にある島田軌道の路盤を利用し1067mmの軌道を敷設するという計画を立てた。 迂回線の線路延長は島田 - 金谷間7.6km(内大井川木橋0.93km)と推定される。工事は鉄道聯隊を中心に一般人も徴用され工事は進められた。木製の橋桁が金谷側から1/4まで完成し、島田軌道においては線路の敷設も終わり蒸気機関車による試運転も行われたが、完成を見ることはなかった。その後島田軌道では元の軌道に戻された。
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