小牧の成立と近世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 06:15 UTC 版)
「小牧 (指宿市)」の記事における「小牧の成立と近世」の解説
小牧という地名は江戸期より見え、薩摩国揖宿郡指宿郷(外城)のうちの小牧村であった。指宿郷のうちの小牧村としての村高(石高)は「郡村高辻帳」では384石余であったと記されている。 延享元年に島津忠卿が応永24年に川辺城の戦いで和泉家当主であった直久が戦死して以降、断絶していた和泉家を継ぎ、今和泉島津家と称し、その際に指宿郷及び頴娃郷の一部から今和泉家の私領として今和泉郷が編成され、それまで指宿郷に属していた小牧村は揖宿郡今和泉郷のうちとなった。 今和泉郷のうちの小牧村としての村高は「三州御治世要覧」では381石余、「天保郷帳」では384石余、「旧高旧領取調帳」では306石余と記載されている。 天保14年から弘化元年にかけて喜入郷生見から海岸に沿って二月田に至る街道(現在の国道226号のルート)が調所広郷の指揮により建設された。
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