近世の上竜尾町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:53 UTC 版)
上竜尾町という地名は江戸時代より見え、鹿児島城下のうちであった。大竜寺馬場には延享元年に再興された今和泉島津家の屋敷が所在していた(今和泉島津家の屋敷跡付近は1967年に大竜町に分割)。明治時代の初期には士族が平民より多く居住しており、武家町であった。 1877年(明治10年)には、鹿児島県の警察関係者が西南戦争で西郷軍に加わったことから、内務省の警視庁は鹿児島に警視出張所を置き、第一屯所を上竜尾町に設置した。西南戦争終戦後には戦死した西郷隆盛や桐野利秋、村田新八、篠原国幹ら2023名が上竜尾町の旧浄光明寺境内跡に埋葬された。1879年(明治12年)には鹿児島県知事の許可を得て旧浄光明寺境内跡に参拝所が設けられ、1913年(大正2年)には参拝所が改築され南洲祠堂に改称し、1922年(大正11年)には南洲神社となっている。
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