近世の下田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 09:30 UTC 版)
「下田町 (鹿児島市)」の記事における「近世の下田」の解説
江戸時代には薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであった。鹿児島近在のうちでは遠名に区分されていた。村高は「天保郷帳」においては282石余、「郡村高辻帳」では282石余、「三州御治世要覧」では510石余であった。 1870年(明治3年)に坂元村(現在の坂元町)に編入されたが、再び1881年(明治14年)に坂元村から再び分村し鹿児島郡下田村となった。1879年(明治12年)には下田に下高小学が開設されたが、1893年(明治26年)に大字川上の川上尋常高等小学校(現在の鹿児島市立川上小学校の前身)に統合された。
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