近世の下山大工
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 08:10 UTC 版)
近世の百姓は本業とされる稲作・畑作のほか、農作業の合間には農間余業(農間稼ぎ、農間渡世)として余剰農産物の販売や、甲州で一般的な養蚕など徳用作物の栽培、山稼ぎや商工業などを幅広く行っていた。 甲斐南部の河内地方は甲斐東部の郡内地方と並ぶ山間地で、耕地に乏しいため諸職人の活動が顕著であった。河内地方では林産資源の活用や、富士川舟運・駿州往還沿いの輸送業のほか大工稼ぎを行っており、文政6年(1823年)の「大工仲間人別帳」では河内・甲府近辺において下山大工に属する1054人を記載している。また、河内地方では日蓮宗の総本山である身延山久遠寺が存在し、門前町には久遠寺の造営活動を専門に行う身延大工が居住している。
※この「近世の下山大工」の解説は、「下山大工」の解説の一部です。
「近世の下山大工」を含む「下山大工」の記事については、「下山大工」の概要を参照ください。
- 近世の下山大工のページへのリンク