近世の中甑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 22:46 UTC 版)
中甑という地名は江戸時代より見え、薩摩国甑島郷(外城)のうちであった。村高は「三州御治世要覧」では252石余、「旧高旧領取調帳」でも252石余であった。 江戸時代の測量家である伊能忠敬が著した「九州東海辺沿海村順」においては中甑村の家数は59軒であったと記載されている。 甑島郷の統治を行う役所である地頭仮屋は甑島列島に3か所(里、中甑、手打)に置かれており、そのうちの1か所は中甑村の現在の薩摩川内市立中津小学校の場所に置かれた。また港の監視を行う遠見番所、津口番所、火見番所が置かれていた。 江戸時代後期に薩摩藩が編纂した地誌である『三国名勝図会』では中甑港について以下のように記述している。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}中甑港 上甑村中甑にあり、海灣を港とす、南に地嘴斜に港口を擁抱して、港形奇なり、此港甑島中頗る幅湊の處なり、唐船漂着の時も、この港に泊繋す、 —三国名勝図会第三〇巻 1878年(明治11年)には大区小区制が施行され、甑島は第25大区に属し、1884年(明治17年)には中甑村ほか7村の連合戸長役場が中甑村に置かれた。1885年(明治18年)には上甑島麓郵便局(中甑郵便局の前身)が設置された。
※この「近世の中甑」の解説は、「上甑町中甑」の解説の一部です。
「近世の中甑」を含む「上甑町中甑」の記事については、「上甑町中甑」の概要を参照ください。
- 近世の中甑のページへのリンク