近世の一族動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 14:03 UTC 版)
中世を経て近世となると、本拠である富士大宮以外での富士氏一族の動向を示す史料が見出されている。寛政年間(1789年 - 1801年)に成立した『寛政重修諸家譜』は戦国期以降の系譜を「和邇氏系図」「富士大宮司系図」とは大きく異なる形で伝え、富士氏の一族が下総国の千葉郡および印旛郡の一部も支配していたとしている。また相模国の長尾台に知行を得ていた富士氏一族も伝えられ、富士信重が徳川家康により知行を宛行われている朱印状等が残る他、信重の子である富士信成の墓碑も長尾台に所在している。
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