近世における文武両道の風潮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/04 05:42 UTC 版)
「文武両道」の記事における「近世における文武両道の風潮」の解説
徳川家康が文事を奨励した影響から全国の学者の社会的地位が見直され、学者に対する需要が生み出された。この風潮から文武両道という語は世に行われ、武家や農夫が修養のために学問の道に入り、大成する者が増えた。ただし、一部の層は、学問を道楽とみていたし、百姓や町人などは、自分の子が学問にのめり込み過ぎて、身分的本業を離れているのをよしとはせず、ある程度成長したら勉学から離れさせる世代もあった。近世日本では、こうした職業的、社会的な風潮もあったと言われる。江戸時代の学問は時に限定されることがあり、決して広いとはいえなかったものの、学者が増加し諸学の研究が進んだ時代でもあった。また様々な学問で諸派の分裂が起きた時代でもあった。また中世の時代から引き続いている要素として文は教養や道楽としての地位を保っており、学問だけではない部分でも文の要素が存在していた。
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