戦国期以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 14:11 UTC 版)
長重の子である成政は織田信忠付きの家臣として活躍し、元亀3年(1572年)に同じ織田家臣の兼山城主・森可成の娘と結婚し森家と血縁関係を持った。義弟である森長可の与力として働き、長島一向一揆、三木合戦、甲州征伐などに参加。また、この成政の代に一宮から美濃鴻野城主に領替えになったともいわれる。小牧・長久手の戦いの際にも長可に味方したが仏ケ根の戦いの際に長可ともども討ち死にしている。 長可亡き後は弟の忠政がその跡を継ぎ、関家は森家の家臣筋となった。忠政の跡は姉関成次室の生んだ長継を養子として据え、長継は二代津山藩主となった。一方、関家は長継実弟の長政が継いだが、弟長政に後継がいなかった為、兄・長継の子・森長治を養子し名跡を継がせている。後に長治は津山藩から分地された1万8700石を使い宮川藩を立藩し森氏の支藩としてその分家の待遇を受け、津山藩改易後は備中国に領を移し新見藩を新たに立藩し、関氏は9代174年にわたり新見に在封し明治維新を迎えた。明治に華族に列し子爵を賜った。
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