戦国期の甲斐金山と甲州金
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 16:14 UTC 版)
甲州金の起源は不明であるが、『甲斐国志』に拠れば戦国期に都留郡を除く国中三郡で流通していた領国貨幣で、山下・志村・野中・松木の四氏が金座役人として鋳造を行い、碁石金や露金、太鼓判、板金、蛭藻金などの形態が存在していたという。 戦国期の甲斐国・武田領国では黒川金山や湯之奥金山などの金山が存在し、採掘された金が灰吹法により精錬され製造されていたと考えられている。 初見史料は三条西実隆『実隆公記』永正3年(1506年)8月22日条で、武田氏と推定される甲斐国某が実隆から源氏物語写本を所望され、黄金5枚を支払っている。以来、信虎・晴信(信玄)・勝頼期に渡り黄金に関する史料が見られ、交換・支払手段、寺社への贈答、軍事目的などの用途で使われている。「開山国師真前奉物子母銭帳」(国文学研究資料館所蔵臨川寺文書)は天文13年(1544年)に恵林寺から京都臨川寺に上納された甲州金と考えられる記述を含む点が注目されている。
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