戦国時代~滅亡へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/07 15:37 UTC 版)
戦国時代に入ると、駿河国の守護である今川氏の分国下の国人領主として把握されてその来歴より、今川氏から重用される一方で今川氏と勢力を接する後北条氏の一族としても存在感を示した。更に前述のように葛山氏の所領は武田氏が支配する甲斐とも接していたことから、非常に厳しい局面を迎えていた。その為、この3国間を生き抜くために様々な養子縁組を行い、葛山氏元は武田氏に甥の御宿友綱を、北条家とは北条幻庵を始めとする親戚関係をと、それぞれの勢力に人脈を要した。しかし、今川義元が桶狭間によって倒れたことで、この均衡は崩れる。一時、北条氏や武田氏を頼っていた葛山氏元は武田信玄が駿河に侵攻する際には、武田氏に味方した。しかし、氏元は北条氏への内通の嫌疑で謀殺された。氏元を殺された葛山一族は、当時最強と云われていた武田信玄と武田軍団に対して単独でクーデターを起こし、痛烈な反撃をしたが滅ぼされる。その後、その名跡を遺そうと考えた信玄が六男葛山信貞に葛山氏の娘と婚姻させ、婿養子として家督を継がせた。 この家督も天正10年(1582年)の織田信長の甲州征伐により、武田家と共に葛山信貞が甲府の甲斐善光寺において自刃したことにより滅亡した。
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