戦国時代突入直前まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/01 02:58 UTC 版)
美作後藤氏の初見は観応元年(1350年)の山名義理における書状から見られる。その書状によると、後藤下野守が塩湯郷地頭職を推挙されるという記述である。これ以後、康季・良貞が地頭職を受け継いだ。 居城は三星城である。滅亡するまでの200年間を守り続けてきたという。
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