戦国時代・近世期の三枝氏とは? わかりやすく解説

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戦国時代・近世期の三枝氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 09:23 UTC 版)

三枝氏」の記事における「戦国時代・近世期の三枝氏」の解説

三枝氏について『寛政重脩諸家譜』が詳しく記すのは戦国時代安土桃山時代)から江戸時代中期までである。三枝虎吉武田氏仕えて活躍し天正10年1582年3月武田氏滅亡時には依田信蕃一緒に駿河田中城籠城した。武田方の城が次々滅ぼされる中、虎吉らの籠城する田中城陥落せず、成瀬正一攻め手矢文主君武田勝頼最期伝えてきた。その時点では実際に勝頼が死亡したかは虎吉らにとっては不明であったが、穴山梅雪使者訪れたことにより城を退去した。その後虎吉長恩寺隠棲し、次に嫡男三枝昌吉一緒に徳川家康面会したその後東雲寺隠棲していたが、「織田信長武田旧臣捜し出して殺そうとしている」と聞きつけ、伊勢逃走したという。 同年6月本能寺の変信長死亡する徳川家呼び出されその後子孫徳川家の家臣になった虎吉徳川四奉行一人となり、徳川氏甲斐支配にも携わった昌吉徳川配下活躍し小田原征伐では頭を負傷して目に血が流れ込み家臣助けられ退いたという。昌吉その後も戦に出ており、最後大坂の陣まで出陣している。昌吉の子三枝守昌の代から江戸幕府寄合となった

※この「戦国時代・近世期の三枝氏」の解説は、「三枝氏」の解説の一部です。
「戦国時代・近世期の三枝氏」を含む「三枝氏」の記事については、「三枝氏」の概要を参照ください。

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