戦国期:菊池氏、阿蘇氏、相良氏の分割統治
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戦国大名となった各氏(菊池氏、阿蘇氏、相良氏)は、北部、中部、南部と各々に拠点を構えて、ほぼ平穏な戦国前期を送っていた。 やがて菊池氏は阿蘇氏に飲み込まれる形となったが、阿蘇氏も身内の後継争い・内紛を繰り返し、最終的には豊後国の大友氏によって旧菊池領は平定され、阿蘇氏もその影響下に入った。 南で鹿児島・島津などの盾となっていた相良氏だったが、鉄砲伝来後、近代兵器を持った島津軍になすすべなく降伏した。阿蘇氏も島津軍に次々と城を落とされ滅亡した(島津氏の九州平定)。九州平定の寸前で島津軍は、大分・大友の要請により挙兵した豊臣秀吉の大軍に敗れ、肥後を放棄した(秀吉の九州平定)。
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