誕生と輿入れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 01:09 UTC 版)
天保6年12月19日(1836年2月5日)、今和泉島津家の当主・島津忠剛の長女として薩摩国鹿児島城下上竜尾町大竜寺馬場(現在の鹿児島県鹿児島市大竜町の区域にあたる)にて生まれる。嘉永6年(1853年)、従兄である薩摩藩主・島津斉彬の養女となり、同年8月21日に鹿児島を陸路出立し熊本を経由して江戸藩邸に入る。安政3年(1856年)に右大臣・近衛忠煕の養女となり、その年の11月に第13代将軍・徳川家定の正室となり、年寄の幾島を伴って大奥に入った(輿入れの経緯・詳細については後述)。渋谷の藩邸(現常陸宮邸)から江戸城までの輿入れは先頭が城内に到着しても最後尾は依然、藩邸にいたという。輿入れに伴い、老中首座の堀田正篤は篤姫の名を憚って、正睦に改名した。なお、家定に嫁いで以降、生涯を通して故郷・鹿児島に戻ることは無かった。
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