菱刈郡とは? わかりやすく解説

菱刈郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/16 03:34 UTC 版)

鹿児島県菱刈郡の位置

菱刈郡(ひしかりぐん)は、かつて鹿児島県大隅国)に存在した

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の伊佐市の一部(大口曽木・大口針持・菱刈各町)にあたる。

歴史

近世以前

和銅6年(713年)の大隅国成立当初は囎唹郡の一部であった。天平勝宝7年(755年)5月に930名が入植し、この時期に浮浪からの請願により菱刈郡が分割されている[1]。本格的な開発は江戸時代に入ってからで、河川改修などが頻繁に行われ広大な水田地帯となった。

近代以降の沿革

  • 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている、同時点での村は以下の通り[注 1]。全域が現・伊佐市。(13村)
    • 馬越郷 - 前目村、田中村、徳辺村
    • 湯之尾郷 - 川南村、川北村
    • 本城郷 - 荒田村、下手村、重留村、南浦村
    • 曽木郷 - 里村、針持村
    • 大口郷(一部) - 市山村、花北村
  • 明治2年(1869年) - 馬越郷と湯之尾郷が合併し菱刈郷、本城郷と曽木郷が合併し太良郷となる。
  • 明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により鹿児島県の管轄となる。

郡発足以降の沿革

11.菱刈村 12.太良村(紫:伊佐市 1 - 3は北伊佐郡)
  • 明治12年(1879年2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての菱刈郡が発足。「宮之城郡役所」が伊佐郡屋地村に設置され、同郡および薩摩郡とともに管轄。
  • 明治14年(1881年7月28日 - 姶良郡桑原郡・囎唹郡とともに「加治木郡役所」の管轄となる。
  • 明治20年(1887年5月9日 - 北伊佐郡とともに「牛山郡役所」の管轄となる。
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(2村)
    • 菱刈村 ← 前目村、田中村、川北村、徳辺村、市山村、花北村、重留村、下手村
    • 太良村 ← 南浦村、荒田村、川南村、里村、針持村
  • 明治24年(1891年)8月8日 - 太良村が分割し、一部(南浦・荒田・川南)の区域に東太良村が、残部(里・針持)に西太良村がそれぞれ発足[2]。(3村)
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「牛山郡役所」の管轄区域をもって伊佐郡が発足[3]。同日菱刈郡廃止。旧郡域が薩摩国の所属となる。

脚注

注釈

  1. ^ 郷については「角川日本地名大辞典」による。

出典

  1. ^ 日本歴史地名大系』 47 鹿児島県の地名、芳即正五味克夫 監修、平凡社、1998年7月2日。ISBN 4582910548 
  2. ^ 出水郡上出水村外五村分割ノ件」『現行鹿児島県令規全集 [第1~6類]』帝国地方行政学会、1909年、25-27頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1087308/1/357 
  3. ^ 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置(明治29年法律第55号、 原文

参考文献

関連項目





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