菱刈郡
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菱刈郡(ひしかりぐん)は、かつて鹿児島県(大隅国)に存在した郡。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の伊佐市の一部(大口曽木・大口針持・菱刈各町)にあたる。
歴史
近世以前
和銅6年(713年)の大隅国成立当初は囎唹郡の一部であった。天平勝宝7年(755年)5月に930名が入植し、この時期に浮浪からの請願により菱刈郡が分割されている[1]。本格的な開発は江戸時代に入ってからで、河川改修などが頻繁に行われ広大な水田地帯となった。
近代以降の沿革
- 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている、同時点での村は以下の通り[注 1]。全域が現・伊佐市。(13村)
- 馬越郷 - 前目村、田中村、徳辺村
- 湯之尾郷 - 川南村、川北村
- 本城郷 - 荒田村、下手村、重留村、南浦村
- 曽木郷 - 里村、針持村
- 大口郷(一部) - 市山村、花北村
- 明治2年(1869年) - 馬越郷と湯之尾郷が合併し菱刈郷、本城郷と曽木郷が合併し太良郷となる。
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により鹿児島県の管轄となる。
郡発足以降の沿革

- 明治12年(1879年)2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての菱刈郡が発足。「宮之城郡役所」が伊佐郡屋地村に設置され、同郡および薩摩郡とともに管轄。
- 明治14年(1881年)7月28日 - 姶良郡・桑原郡・囎唹郡とともに「加治木郡役所」の管轄となる。
- 明治20年(1887年)5月9日 - 北伊佐郡とともに「牛山郡役所」の管轄となる。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(2村)
- 明治24年(1891年)8月8日 - 太良村が分割し、一部(南浦・荒田・川南)の区域に東太良村が、残部(里・針持)に西太良村がそれぞれ発足[2]。(3村)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「牛山郡役所」の管轄区域をもって伊佐郡が発足[3]。同日菱刈郡廃止。旧郡域が薩摩国の所属となる。
脚注
注釈
- ^ 郷については「角川日本地名大辞典」による。
出典
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 46 鹿児島県、角川書店、1983年3月1日。 ISBN 404001460X。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
固有名詞の分類
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