桑原郡とは? わかりやすく解説

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桑原郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/23 04:09 UTC 版)

鹿児島県桑原郡の位置

桑原郡(くわばらぐん)は、かつて鹿児島県大隅国)に存在した

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

歴史

古代

もと囎唹郡の一部であったが、大隅国成立の翌年である和銅7年(714年)に分割されている[1]。近世以降には桑原郡からさらに始羅郡(現・姶良郡)が分割されたとみられる[1]

近世以降の沿革

11.横川村 12.栗野村 13.吉松村 14.牧園村 15.西襲山村(紫:霧島市 赤:湧水町 1 - 6は姶良郡 21 - 27は西囎唹郡)
  • 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている、同時点での村は以下の通り[注 1]。(25村)
    • 踊郷 - 宿窪田村、万膳村、三体堂村、中津川村、上中津川村、持松村(現・霧島市)
    • 吉松郷 - 中津川村、般若寺村、川西村、鶴丸村、川添村(現・湧水町)
    • 横川郷 - 上之村、下之村、中之村(現・霧島市)
    • 栗野郷 - 田尾原村、木場村、恒次村、北方村、米永村、幸田村、稲葉崎村(現・湧水町)
    • 日当山郷 - 朝日村、東郷村、西光寺村、嘉例川村(現・霧島市)
  • 明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により鹿児島県の管轄となる。
  • 明治2年(1869年) - 日当山郷が囎唹郡襲山郷に編入。(21村)
  • 明治12年(1879年2月17日
    • 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての桑原郡が発足。「加治木郡役所」が姶良郡反土村に設置され、同郡および囎唹郡[注 2]とともに管轄。
    • 囎唹郡襲山郷の一部(旧・日当山郷)が分立して西襲山郷となり、所属郡が本郡に変更。(25村)
  • 明治15年(1882年) - 中津川村(踊郷)が改称して下中津川村となる。
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、各郷に横川村栗野村吉松村牧園村[踊郷]、西襲山村が発足。
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「加治木郡役所」の管轄区域をもって改めて姶良郡が発足[2]。同日桑原郡廃止。

脚注

注釈

  1. ^ 郷については『角川日本地名大辞典』による。
  2. ^ 明治20年(1887年)より西囎唹郡。

出典

  1. ^ a b 日本歴史地名大系』 47 鹿児島県の地名、芳即正五味克夫 監修、平凡社、1998年7月2日。ISBN 4582910548 
  2. ^ 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置法律(明治29年法律第55号、 原文

参考文献

関連項目




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