近世の片野浦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 23:41 UTC 版)
片之浦という地名としては江戸時代より見え、薩摩国甑島郡甑島郷(外城)のうちの片之浦村であった。元禄国絵図には下甑村のうちとして記載されている。村高は「旧高旧領取調帳」では332石余、「三国御治世要覧」によれば300石余であった。 江戸時代の測量家である伊能忠敬が著した「九州東海辺沿海村順」によると家数155であった。 集落の中心から離れたごく一部の地域では、キリスト教と真宗の流れを汲むとみられるクロ教と呼ばれる土着宗教が密かに信仰されていたとされる。
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